「索麺(そうめん)」の意味や歴史とは?
真っ白で繊細な麺に、さっぱりとしたのどごしの「索麺(そうめん)」は、日本の夏の風物詩。お中元やお歳暮の定番の贈り物でもありますよね。けれど、身近なだけに案外詳しいことはわからないという方も多いはず。今回は、そんな「索麺(そうめん)」の歴史や名産地、ひやむぎとの違いを解説します。
<意味>
「索麺(そうめん)」とは、小麦粉に水と塩を加えてこねた種に植物油を塗って、細く引き伸ばして、天日干しにした極細の麺です。雪や雨が少ない気候や、晴れの日の多い冬の時期がそうめん作りに適しているとされています。「索麺(そうめん)」を茹でてつゆにつけて食べるのがおなじみですが、煮込んで「煮麺(にゅうめん)」にして食べることもあります。
また、お中元やお歳暮の贈答品としても定番ですよね。これは「索麺(そうめん)」の麺が細長いことから、普段会うことのできない方に、細く長くご縁が続きますようにとの願いを込めた、日本人のしきたりでもあります。お盆期間は、乾麺の束のまま仏壇に供えたり、茹でで器に盛ったものを供えます。
<歴史や起源>
このように古くから私たちの生活の中になじみ深い「索麺(そうめん)」ですが、そのルーツはご存知ですか? 「索麺(そうめん)」は、奈良時代に中国から伝わった唐菓子「索餅(さくべい)」が原型となっているそうです。「索餅(さくべい)」とは、小麦粉と米粉を練り、縄のようにねじった形のお菓子です。
その後、鎌倉時代から室町時代にかけて、中国から麺を手延べする技法が伝わり「索麺(そうめん)」が誕生。当時の文献には「索麺(さくめん)」という読み方で記されています。この頃から「索麺(そうめん)」は、仏前に供えたり、僧侶たちの間食として広がりました。
そして、庶民に普及し始めたのが江戸時代になってから。この頃に水車を動力とした製粉機が生まれ、今の製粉技術の基礎ができたといわれています。江戸時代の料理書には「切り麦」「麦切り」とも書かれており、現在のような切り麺として、親しまれていたことがわかります。
冷蔵庫のない時代には、保存できる食材として活用されていました。詳しい由来は定かではありませんが、その後「素麺(そうめん)」という漢字が使用されるようになりました。
「索麺(そうめん)」の種類や名産地とは?
今では全国各地に「索麺(そうめん)」の産地があり、特徴もさまざまです。一般的には、「索麺(そうめん)」には、職人が昔ながらのやり方で手間暇かけて作った「手延べそうめん」と、短時間でたくさん生産できる「機械そうめん」の2種類があります。以下で紹介するのはいずれも「手延べそうめん」の産地です。
播州そうめん
兵庫県の「播州(ばんしゅう)そうめん」は、国内生産高第一位の「索麺(そうめん)」の産地です。ブランド「揖保乃糸(いぼのいと)」で有名。「揖保乃糸」は、厳選した小麦と赤穂の塩を原料に600年受け継がれる伝統の技法で作られています。特級品、上級品、縒つむぎなどの等級があります。
三輪そうめん
奈良県の「三輪そうめん」は「索麺(そうめん)」発祥の地ともいわれ、その歴史は1200年近くまで遡るそう。多くの産地は三輪そうめんの流れを汲んでいるともいわれています。強いコシとのどごしの良さが特徴です。江戸時代の『日本山海名物図会』には、「細きこと糸のごとく白きこと雪のごとし」と三輪そうめんを賞賛する記述も残されています。
島原そうめん
長崎県の「島原そうめん」は、全国の手延べそうめんの約30%を誇るトップブランド。時間をかけて丁寧に作られ、茹で伸びしにくく、しっかりとしたコシと歯応えが特徴です。長崎は手延べそうめんの他にも、皿うどんやちゃんぽん、手延べうどんなど独自の麺文化が発展していった地域でもあります。