皆さんは、「塞翁が馬」という故事成語をご存じですか? 歴史小説や映画などで目にしたことがあるかもしれませんが、字面から意味をイメージしずらい言葉ですよね。故事成語としては有名な言葉なので、教養として覚えてみてはいかがでしょうか。本記事では、「塞翁が馬」の意味や使い方、類語などを解説します。
「塞翁が馬」とは「予測できない」を意味する言葉
「塞翁が馬(さいおうがうま)」とは、幸運な出来事があっても幸運とは限らず、反対に不幸なことがあってもそれが本当に不幸であるかはわからないということを意味する言葉です。「将来のことは予測できない」というニュアンスで使われます。
なお、「塞翁」とは、塞という名前のおじいさんのことではありません。塞とは「とりで」の意味なので、「塞翁」とは「とりでに住んでいるおじいさん」あるいは、「とりでのそばに住んでいるおじいさん」の意味になります。
【塞翁が馬】さいおうがうま
《「淮南子(えなんじ)」人間訓から》人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。「人間万事―」
昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「人間万事塞翁が馬」ともいう
「塞翁が馬」とは、「人間万事塞翁が馬」という言葉の一節です。なお、読み方は「にんげん ばんじさいおうがうま」または「じんかん ばんじさいおうがうま」です。
「人間(じんかん)」とは、人の間、簡単にいえば人間が住むこの世の中のことです。つまり、「人間万事塞翁が馬」とは「人の世の中はすべてのことが予測できない」という意味を表しています。
前漢時代の書物『淮南子』のエピソードに由来
「塞翁が馬」とは、古代中国前漢時代の書物『淮南子(えなんじ)』に記されたエピソードに由来します。その昔、あるとりでにおじいさんが住んでいました。おじいさんの馬が胡(こ)の国に行ってしまったので、周囲の人々はおじいさんをかわいそうに思いましたが、おじいさんは「これが幸運となるかもしれない」と答えます。
すると何日かして、逃げた馬が胡の素晴らしい馬をたくさん引き連れて帰ってきました。おじいさんの言うとおりに幸運なことが起こったのです。周囲の人々は口々に「良かったね」といいますが、おじいさんはうなずきません。「これが不運の元になるかもしれない」といい、実際に胡の馬に乗ったおじいさんの息子が落馬して、けがを負ってしまいました。
また、周囲はおじいさんに「かわいそうに」と同情しますが、おじいさんは「これが幸運を導くかもしれない」と返答します。それから1年後、戦争が始まり、若者たちは徴兵されましたが、足の骨を折っていたおじいさんの息子は徴兵を免れました。
「塞翁が馬」の使い方を紹介
「塞翁が馬」という言葉は、日常会話でも使われることがあります。いくつか例を紹介するので、どのようなシチュエーションで使うことができるのか感覚をつかんでください。
(例文)
・そう落ち込まないで。【塞翁が馬】というし、もうすぐ思わぬ幸運がやってくるかもよ。
・今は仕事がうまくいっていますが、【塞翁が馬】というとおり、この幸運が不運の原因になるかもしれません。
・【人間万事塞翁が馬】ともいうので、今の状態だけで良かったかどうかを判断するのは時期尚早だと思います。
「塞翁が馬」の類語と例文を紹介
「塞翁が馬」の言葉のように、予測できない状態について表現する言葉はいくつかあります。よく使われる「塞翁が馬」の類語としては、次の4つが挙げられるでしょう。
・禍福は糾える縄の如し
・沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
・一の裏は六
・楽あれば苦あり(苦あれば楽あり)
それぞれの言葉はどのようなシチュエーションで使えるのか、例文を用いて解説します。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
「禍福は糾える縄の如し」とは、災いと幸運はより合わせて作った縄のように一緒に絡み合っているものだという意味の言葉です。簡単にいえば、災いと幸運は表裏一体であることを指します。
つまり、幸せばかり起こるということもなく、反対に不幸ばかり続くということもないという世の中の通りを説いた言葉です。次のように使ってみましょう。
(例文)
・確かに最近、悪いことばかり続いているね。しかし、【禍福は糾える縄の如し】というように、そのうち良いことがあるよ。
・【禍福は糾える縄の如し】というけれど、本当にそうだろうか。私には不幸ばかり、彼女には幸運ばかり起こっている気がする。