インタビュー前編
▶︎キャリアの熟成は40代から。人として何を理解して、経験して、受け入れられるのかで深まっていく|バイオリニスト吉田恭子さん・インタビュー(前編)
子供には「褒めて育てる」より、「本気で接する」
──吉田さんは未来の音楽家を目指す子供たちへ合宿プログラムも提供されていらっしゃいますね。どういった思いで始められたのでしょうか?
弦楽演奏は人とつくっていくものなのですが、一生懸命やっている子ほど孤立していくんですね。同世代はスポーツに打ち込んでいる子以外は、まだ将来を決めずに自由に遊んでいる子が多い。流行りのアニメも知らないしゲームもやってなくて、学校に行っても周りと話が合わない。かといって音楽家になれるかどうか確信もないのに、一日4、5時間も練習しなきゃいけない。そうやって頑張っている子たちに、やっぱり仲間を作ってあげたいなと思って。
──子供とはいえ全国のトッププレーヤーの子たち。自我が強そうなイメージがありますが、どうやってチームワークを築いていくんでしょうか?
たしかに、みんな気は強いですね。でも、母親や携帯電話と離れて、音楽の道を志す同世代と寝食を共にしていくと、自分よりうまい子や練習熱心な子がいると気づいて刺激される。何より、現役で活躍する指揮者やウィーンフィルのコンサートマスターが来てくれるので、やっぱり隣で弾くだけで自分がいかに井の中の蛙だったかを知っていくんですよ。もっと広い世界があるんだなってことを肌で感じる。最終日はみんなと別れがたくて涙する子も多いですね。
──吉田さんは、子供たちにどんな風に声をかけるんですか?
きっと恐いと思いますよ(笑)。今は子供の教育で、「褒めて育てよう」という傾向がありますよね。でも、私はあまり褒めないタイプで。というのも、子供って「適当に褒めてるんだな」ということを見抜いてしまうし、「この人は真剣に接してくれている」というのもわかる。皆さんも子供時代を思い返すとそうだったんじゃないかなと思います。だから、本気で接することを大事にしていますね。
生きる力を身につけるには、自分で考えて選ぶことから
──「本気で接する」ことを大切にする点は、娘である妃鞠さんへの教育にも通じるものがありますか?
娘の幼稚園は厳しいところを選びましたね。ごはんを残さないといった基本的な部分だけでなく、トラブル対応でも自分で考えて動けるように甘やかさない。たとえばやんちゃな子がいて、他の子の帽子をパチンと叩いたとしますよね。もちろんやったほうが呼ばれて叱られるのですが、もし次の日も同じことが起きたらやられたほうも呼ばれて「あなたも学びなさい」と注意されるんです。ただ、娘の場合は大人から指導されることに慣れているせいか、その幼稚園ですら楽しいワンダーランドだったみたいですが(笑)。
どんなに順風満帆な人生を送っているような人でもやっぱり挫折があって、そこから這い上がってこないといけませんよね。強い精神をもって本当に大変なときに人に優しくできる人間になってほしいなと。いろいろなことが選択できる時代ですが、コロナ禍のように予測のつかない災害が起こるかもしれない。生きる力をもっていないといけないなと感じます。
──たしかに、いつも誰かが助けてくれるとは限らないですし、鍛えられそうです。
そういう意味では、娘は2歳でバイオリンを始めて、4歳からコンクールに出ているのですが、当時から私は舞台の袖にはいないようにしていました。演奏中に止まってしまおうと何が起きようとどうするかは自分で考えてと。その代わり、「客席で絶対見てるからね」と言って。今では出番までに自分のペースで集中して、大きな舞台でも物怖じせずに出ていきます。
あとは、お仕事も本人に聞いて決めています。どんなに著名で共演自体がステータスになるような楽団からのオファーでも、彼女なりのプランやタイミングがあるみたいで、やらないと決めたらやらない。その分、自分で選んだことなら最後まで逃げずにやりきるんですね。
──本当に自立してしっかりされていますね!
親としてはもっと頼ってほしいときもありますが、寝るときだけはそばに来るんです。彼女なりにバランスをとっているのかな。「ひとり暮らししたいんだよね~」って言いながら私の手を触っていますから(笑)。
ただ、娘は非常に自由な人で何事も納得しないとやらないけれど、今からプライベートがなくなるのも、先の道を決めすぎるのも苦しいなと。音楽だけじゃなくて運動でも勉強でも、お友達と遊ぶこともなんでも興味があるので、いつか「ほかにやりたいことができた」とピタッと止める日も来るんじゃないかなというのは心のどこかで覚悟をしています。
「こんなはずじゃなかった」人生だけど、今は娘と一緒に舞台に立てる日を楽しみに
──妃鞠さんは、2021年のリピンスキ・ビエニャフスキ国際バイオリンコンクールなど、国内外のコンクールで優勝、名だたるオーケストラと共演するなど目覚ましいご活躍ですが、吉田さんご自身は、もともとバイオリンはやってほしいなという思いはあったのでしょうか?
むしろ音楽は絶対にさせたくなくて、バレエをやってくれたらいいなと考えていたくらいでして。それなのに、私が留守のときに母が近くのバイオリン教室に連れていったらしく、いつの間にかひとりで弾いていたんですよ。始めて3か月くらいの頃にはバッハを弾いていました。乳児期から私の仕事場であるホールに行っていたので耳が良くなっていたみたいで、どんどん新しい曲を弾いてくるんです。
コンクールを受けるとなったらやっぱり1位をとらせてあげたいなと練習に付き合って、そのうち5歳でオーケストラと弾くとなって、7歳にしてヨーロッパを年間10回以上往復する人生になってしまったんです。ありがたいことではあるのですが、付き添いなしではもちろん行けないので毎回同伴。私の仕事はなかなか入れられません。それまでは自分が弾いているほうが楽しくて、自分勝手に生きてきたので「こんなはずじゃなかった」というのは人生のジレンマですね。消化して受け入れるまでに時間がかかりました。
コロナ禍で一時はさまざまな公演がストップしましたが、規制緩和の流れもあり、2022年は国内外で娘が参加するコンサートが予定されています。渡航するとなると、入国時の2週間待機だけでなく関連手続きが多岐にわたりますし、英語圏ではない国もあるので、学校の先生や通訳さんにも相談しながら対応に追われている状況です。
──とてもお忙しい日々の中で、リラックスできる瞬間はどんなときですか?
やっぱり娘が気持ち良さそうに寝ている顔を見ているときでしょうか。ホッとしますね。本人は学校から帰ると4、5時間は練習しているので、私もいつもどこかオンというか、オリンピック選手と暮らしているようなものだと思っています。あとは私の場合、娘と一緒にトランプやオセロで遊ぶにしても常に本気で、子供相手だから力を抜くとかは一切なくて(笑)。トランプの「スピード」は、彼女が学校で一番になるくらい強くなり、最近は本気でやっても負けるようになってきました。
──では最後に、今後やってみたいことをうかがえますか?
楽しみなのは、娘と一緒に演奏することですね! あとは、自分の国のことや意見をしっかり伝えられるように語学や歴史の背景なども学んで、バランス感覚を身につけておきたいです。彼女と一緒にいたら、きっといずれ外国に暮らすことになるので、何をどう選択していったらいいか、世界中のどこに立っていても自分の軸がしっかりしていないと流されてしまうだろうなと。娘の世代は世界がもっと近い存在なのでなおさら。
それは同時に、自分をラクにしてくれる術。私自身、仕事も子育てもひとりでやるものとはまったく思っていなくて、外国語を勉強するのも現地で助けてもらえる人にはどんどん助けていただこうという気持ちです。これからも、皆さんの目や力をお借りしつつ育てていけたらと思っています。
インタビュー前編
▶︎キャリアの熟成は40代から。人として何を理解して、経験して、受け入れられるのかで深まっていく|バイオリニスト吉田恭子さん・インタビュー(前編)
撮影/石田祥平 ヘア&メイク/久保フユミ(ROI) 構成/佐藤久美子
バイオリニスト
吉田恭子(よしだ・きょうこ)
東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、文化庁芸術家海外派遣研修生として、英国ギルドホール音楽院、米国マンハッタン音楽院へ留学。巨匠アーロン・ロザンドに師事。世界各国の音楽祭に参加し、数々の賞を受賞。国内でも全国各地でリサイタルを行うほか、子ども達と自然・エコロジー・チャリティー活動に従事。また地域社会の活性化と福祉の精神を目的に、全国の小中学生に向けて「ふれあいコンサート」シリーズを2003年よりスタートさせ、これまでに約380公演、8万名以上が参加している。2011年より開催のYEKアカデミー「若い芽のアンサンブル in 軽井沢」実行委員長。桐朋学園芸術短期大学非常勤講師。