「桃栗三年柿八年」とは何事も相応の時間がかかるの意味
「桃栗三年柿八年」とは、果実が生るまでには時間がかかることを示すことわざです。また、果実だけでなく何事も、完成するまでには相応の時間がかかるという意味でも使われるようになりました。
【桃栗三年柿八年:ももくりさんねんかきはちねん】
桃と栗とは、芽生えのときから3年、柿は8年たてば実を結ぶということ。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
正確な収穫時期も指している
「桃栗三年柿八年」ということわざは、果物の正確な収穫時期も指しているともいわれています。実際に桃や栗の木を植えて実を結ぶまでには3年間、柿の木を植えて実を結ぶまでには8年かかることが多いようです。
農業初心者や自宅の庭に果物の木を植えるなどの家庭菜園を楽しむ際に、収穫時期の目安として覚えておくことができるでしょう。
江戸時代の大阪かるたが由来
「桃栗三年柿八年」という表現は、江戸時代に作られた「大阪かるた」の読み札が由来になっているとされています。「も」で始まる言葉として「桃栗三年柿八年」が選ばれ、多くの人に広まったようです。
なお、江戸時代に作られたかるたは、地域によって選ばれる言葉に違いがありました。大阪かるたで「も」は「桃栗三年柿八年」ですが、江戸かるたでは「門前の小僧習わぬ経を読む」で、京都のかるたでは「餅は餅屋」とそれぞれ異なることわざや表現が選ばれています。
なお「門前の小僧習わぬ経を読む」とは、普段から見聞きしているといつの間にか覚えてしまうことを指す言葉です。例えば普段から政治や経済について親が語り合う家庭の子どもであれば、政治経済に詳しく、また、興味を持つようになることがあるでしょう。このように環境が人に与える影響が大きいということを示す言葉でもあります。
また「餅は餅屋」とは、その道の専門家に任せるのが一番だということを意味する言葉です。上手な素人でも専門家にかなわない、という意味も含まれます。「数学については彼に聞いてよ。数学科を出ているし、餅は餅屋と言うし」のように、専門分野を専門家に任せる際にも使える言葉です。
使い方を例文でご紹介
根気よく時間をかけて待てば、あるいは時間をかけて努力をすれば、何らかの結果が出ることがあります。「桃栗三年柿八年」という言葉は、努力しても結果が出ず、諦めそうになっている人を励ますときなどにも使える言葉といえるでしょう。
・結果が出るには時間がかかるものだよ。【桃栗三年柿八年】というし、もう少し気長に努力してみれば。
・【桃栗三年柿八年】というんだし、もう少し頑張って。ここで諦めたら今までの努力が水の泡だよ。
簡単には成果が出ないという意味でも、「桃栗三年柿八年」という言葉を使うことがあります。例えば以下のように使うことができるでしょう。
・ブログを始めたけれど、なかなか結果が見えずめげそうだ。【桃栗三年柿八年】という言葉通り、すぐには結果が出なくて当然と思わなければいけない。
・【桃栗三年柿八年】というけれど、8年以上ピアノを練習しているのに上手にならない。努力の仕方を見直すべきタイミングなのかもしれない。
「桃栗三年柿八年」には続きがあった?
通常は「桃栗三年柿八年」で終わりですが、地域などによっては続きがあるケースもあります。どのような続きがあるのか、また、それぞれどのような意味があるのか、4つのケースに分けて見ていきましょう。
・柚子を使うパターン
・梨やりんごを使うパターン
・女房や亭主が出てくるパターン
・柿八年の代わりに後家一年もある
柚子を使うパターン
「桃栗三年柿八年」を本来の意味、つまり果物の収穫時期を指す言葉として使うときは、桃と栗、柿以外の果物の例を挙げ、「この果物は収穫までに〇年」かかると示すことがあります。その中でも柚子を使うパターンは多く、次のような表現が挙げられます。
・柚子は九年でなりさがる
・柚子は九年で花盛り
・柚子は大馬鹿十八年
表現によって年数は異なりますが、いずれも桃栗柿よりも多いことから、果実をつけるまでに長期間かかることがわかります。
梨やりんごを使うパターン
柚子以外の果物も、「桃栗三年柿八年」の続きで紹介されることがあります。次のようなバリエーションが知られています。
・梅は酸い酸い十三年
・梨の馬鹿目が十八年
・りんごにこにこ二十五年
いずれも桃や栗、柿以上に長い年月の後に収穫できることがわかります。果物を育てるには根気が必要だといえるでしょう。自宅菜園を楽しむ場合は、苗木ではなく、すでに実を付けた木を買う選択肢も視野に入れたいところです。
女房や亭主が出てくるパターン
「桃栗三年柿八年」を時間を表す言い回しとして用いるときは、果物以外の言葉が出てくることもあります。中でも多いのが、女房や亭主が出てくるパターンです。
・女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生
女房が一人前の働きをするには60年かかる、亭主は一生かかっても一人前の働きをしないということを指す言葉です。
柿八年の代わりに後家一年もある
「桃栗三年柿八年」ではなく「桃栗三年後家一年」という言葉もあります。後家とは、夫に先立たれた妻を指します。これは、桃や栗は実を結ぶのに3年もの時間をかけるが、夫を失った後家は1年ほどで悲しみを忘れ、別の男性を見つけて幸せに暮らすようになるという意味の表現です。女性の切り替えの潔さやポジティブな生き方、優れた行動力を示しているといえるでしょう。
「桃栗三年柿八年」の意味を理解しておこう
「桃栗三年柿八年」は果物の収穫時期を覚えつつ、時間をかけて結果を出すことの大切さを示す表現です。地域によっては続きがあり、ほかの果物の収穫時期を含めたり、女房や亭主、後家についての軽妙なコメントを加えたりすることがあります。
ぜひ「桃栗三年柿八年」の本来の意味と派生する意味を覚えて、表現力をアップさせましょう。
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