仏造って魂入れず
「仏造って魂入れず」の意味は以下の通りです。
物事をほとんど仕上げながら、肝心な最後の仕上げが抜け落ちていること(小学館『デジタル大辞泉』より)
どんなに精巧に作られた仏さまでも、そこに魂や思いが込められていなければ意味がない、といったニュアンスです。仏像に尊い魂を入れ込む儀式のことを魂入れや開眼供養といい、魂入れをした仏像は人々に利益をもたらすそう。竜の絵に目を入れることにも同じ意味がありそうですね。
九仞の功を一簣に虧く
やや難解な言葉ですが、「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」も類語となります。中国の書物『書経』に出典があり、高い山を築くのに、最後の1杯の土が足りないために完成しないことから、「長い間の努力も、最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ」です。
「九仞」は「非常に高いこと」、「一簣」は、「わずかな量」のこと。最後の一つが足りないことが「画竜点睛を欠く」と同じです。
油断大敵
日常生活でも馴染みのある「油断大敵」も類語です。意味をみていきましょう。
油断は失敗のもとであるから、大敵である(小学館『デジタル大辞泉』より)
最後の最後に油断して、失敗してしまうことへの戒めの言葉です。最後まできっちりとやり遂げられないところが「画竜点睛を欠く」と共通しています。
「画竜点睛を欠く」の英語表現は?
「画竜点睛を欠く」は、「最後に失敗する」「詰めが甘い」という意味の言葉なので、それを文章として組み立てて表現してみましょう。
・You missed the final completion(最後の完璧さが抜け落ちている)
・I forgot to add the finishing touches(最後の仕上げを忘れていました)
・It lacks the last finishing touches(最後の仕上げが欠けている)
最後に
「画竜点睛を欠く」とは、「物事の肝心なところが抜けていること」。故事成語なのでやや硬い表現ではありますが、意味を聞くと共感することも多いのではないでしょうか。仕事や勉強であと一歩のところで失敗をして、「最後に気を抜かなければ、完璧だったのに!」と後悔することは誰にでもあるはずです。今度からは「画竜点睛を欠く」を胸に刻んで、最後まで油断せずやり抜くように心がけてみてはいかがでしょうか。
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