歯牙にもかけないとは
「歯牙にもかけない」は、「しがにもかけない」と読みます。高校の国語の教科書に出てくる『山月記』で見たことがある、という方も多いのではないでしょうか。問題にしない、相手にしないという意味で、そこから無視することの形容として使われるようになりました。どのような語源や由来があるのか見ていきましょう。
歯牙にもかけないの語源
「歯牙」は「歯(は)」と「牙(きば)」を表した漢字です。「歯」も「牙」も人間や動物の口先についているものです。そこから、「口から出る言葉」を表します。歯牙にもかけないは「わざわざ口に出して言うようなことではない」「取り立てて言うほどのことではない」といった意味を表し、転じて「問題にしない、相手にしない」という意味になりました。
言葉の由来
元々は中国の前漢時代の歴史家である司馬遷(しばせん)が書き記した『史記』の「叔孫通列伝(しゅくそんとうれつでん)」に出てくる言葉です。
叔孫通(しゅくそんとう)は、秦の時代に学問に優れていたことで朝廷に召された人。秦の始皇帝亡きあと、その子が始皇帝のあとを継ぎました。しかし、始皇帝の政治に不満を抱いていた者が反乱をおこします。それを聞いた二世皇帝は学者を集めて検討するよう宦官の趙高(ちょうこう)に指示しました。
趙高(ちょうこう)は、都合のいいことしか皇帝に伝えなかったので、皇帝は自分の政治の下で天下は安定していると思っていました。学者の「謀反をおこす者は許すべきではない。今すぐ討伐軍を派遣すべき」との意見に怒りをあらわにします。
これを見ていた叔孫通(しょくそんとう)という学者が、「これ特(ただ)に群盗鼠竊(そせつ)狗盗(くとう)なるのみ、何ぞこれを歯牙(しが)の間(かん)に置くに足らん」(他の学者の言うことは間違っています。反乱を企てるものはいません。これらはただの盗賊であり、問題になりません。)と言いました。
歯牙にもかけないという言葉は「歯牙の間(かん)に置く」(問題にする)という言葉から、問題にしない、相手にしないという意味として使われるようになったのです。
歯牙にもかけないの使い方
普段あまり耳にしない言葉ですが、どんな使い方をするのか見ていきましょう。
『山月記』での使われ方
高校の教科書にも出てくる、中島敦の『山月記』。その中には次のように出てきます。
曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴(りちょう)の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。
若いうちから学問に優れ、進士という高級官吏登用試験にも合格した李徴(りちょう)。意固地で他人と協調することを嫌い、プライドだけが高い性格です。下級官吏として満足せず、俗悪な上司に屈することも許せず、悶々とした日々を過ごします。それならばと、詩家としての名を、死後残そうとするものの、思うように文名は上がらず、貧窮します。
結局、妻子を養うためにしかたなく、再び官吏に。しかし、その時には、全く問題にしていなかった、かつての同僚の命令を受けなくてはならず、李徴のプライドはズタズタにされるのです。