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「チャップリン」はどんな人物?
「チャップリン」は、映画監督・俳優として活躍し、彼の手掛けた作品は、世界中で話題になりました。ここでは、「チャップリン」の生涯やエピソードについて紹介します。
生涯
1889年、寄席(よせ)芸人歌手の子としてイギリスのロンドンに生まれた「チャップリン」。5歳の頃に父親が亡くなると、チャップリンは母親とともに貧しい生活を送るようになります。
17歳のときに劇団に参加し、1910年と1912年の渡米巡演の際、「スラップスティック」と呼ばれるドタバタ劇で一世を風靡した名監督であるマック・セネットに見出されたチャップリンは、映画の世界に足を踏み入れることに。
デビューまもない頃に製作した映画・『ベニス海岸の自動車競争』にて、ちょび髭に山高帽、ステッキといったおなじみのスタイルを考案しました。1919年にユナイテッド・アーティスツ社を創設し、1923年に第1作である『巴里(パリ)の女性』を発表に至ります。
悲恋をテーマとしたこの作品は、映画史上最高傑作と絶賛されることに。声が入った映画であるトーキーを嫌った彼は、その後にサイレント映画を次々と発表します。チャップリンが初めて完全なトーキーに踏み切ったのは、1940年に公開された『独裁者』でした。
現代文明や独裁的なファシズムに対する批判を強めていたチャップリンは、この作品でドイツの独裁者・ヒトラーを弾劾します。彼の政策を皮肉るような作品であったということもあり、ヒトラーは激怒したそうです。命を狙われる恐れがあるにも関わらず、このような作品を発表するところに、チャップリンの信念を感じ取ることができます。
1947年には、資本主義や大量破壊兵器の使用を批判した『殺人狂時代』を発表して高い評価を得るも、ソ連との冷戦下にあったアメリカで物議を醸すことになりました。そのほかにもアメリカが問題視した事情などもあり、チャップリンはアメリカから追放されてしまうことに。
その後はイギリスを拠点として活動を続け、1975年にはエリザベス女王から「ナイト」の称号が与えられます。
そのほか、フランスのレジオン・ドヌール勲章など世界中から様々な栄誉を受けることとなったチャップリン。1972年には、かつてチャップリンを共産主義者と見なして追放したアメリカが、彼に対してアカデミー特別賞を贈るため、ハリウッドに招待しています。
世界中で愛されたチャップリンは、スイスのジュネーブ湖畔にて家族と余生を過ごし、1977年12月25日に88歳の生涯に幕を閉じました。
有名なエピソード
チャップリンは使用人として日本人を雇用していました。運転手として雇用された高野虎市(こうのとらいち)が有名です。チャップリンは彼の真摯な仕事ぶりを高く評価し、秘書の役割も任せるようになったのだとか。
その後、日本人が大好きになったチャップリンは、使用人全員を日本人にするなど、親日家としても知られるようになります。
チャップリンは、1932年5月に初訪日しますが、何とチャップリンが日本に到着した翌日に、当時の首相や官僚が青年将校たちによって暗殺された「五・一五事件」が発生してしまうのです。
この襲撃事件では、チャップリンも殺害される予定でしたが、付き添いをしていた高野虎市が危険を察知して急遽予定を変更したと言われています。高野虎市が使用人としてチャップリンから重宝されていた理由が何となく分かりますね。
チャップリンの名言
「喜劇王」と呼ばれ、世界中で愛されたチャップリン。ここでは、チャップリンが遺した名言について紹介します。
1:「人生に必要なのは、勇気と、想像力と、そして、少しばかりのお金だ」
この名言は、チャップリンが1952年に公開した映画・『ライムライト』に登場する台詞です。一見ポジティブな名言にも思えますが、「少しのお金」で締めくくられているところに、言葉としての重みも感じ取ることができそうですね。
幼い頃に父親が他界し、貧しい生活を送った経験があるからこそ、あえてこのような表現にしたのではないかと考えさせられる名言です。
2:「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
これは、チャップリンが亡くなった際、彼の遺した名言として新聞の追悼記事の中で引用されたもの。
例えば、海岸でサンドイッチを食べていたとします。それを突然、鳶にさらわれてしまったらどうでしょうか? 多くの方は、せっかく景色を楽しみながらおいしく食べていたのに、最悪だと思ってしまうでしょう。
しかし、その一部始終を見ていた他人の目には、むしろ面白い光景の一つとして映るかもしれません。チャップリンは、人生はこのようなことの繰り返しであると考えていたといえます。
チャップリンにとっては、捉え方によっては全ての出来事は悲劇でもあり、喜劇でもあるということです。
3:「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ」
こちらも、『ライムライト』に登場する台詞です。この世に生きている全ての生物にとって、「死」は避けがたいものですが、チャップリンは生きることもまた、避けることはできないと考えていました。
誰もが皆、「生まれたい」という意思を持って生まれるのではなく、気づけばこの世に生を受けているのです。しかし、生まれてしまった以上、そう簡単に死ぬことはできません。なぜなら、自ら「死」を選ぶ際には、それ相応の苦しみが伴うからです。
波乱万丈な幼少期を過ごしたチャップリンはこの台詞を通して、どんなに辛くても苦しくても、生まれたのならば地道に生きていくしかないということを伝えたかったのかもしれません。
最後に
今回は、チャップリンの生涯やエピソード、名言について紹介しました。今もなお世界中で評価されている「チャップリン」。鋭い洞察力と独自の世界観で、人生を俯瞰していたということが分かります。チャップリンの名言から垣間見える彼の哲学は、多くの人々に影響を与えることになったといえるでしょう。
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