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PEOPLE木下ココのうつくしいからだ

2017.09.10

元祖かわいい系モデルがさらけ出す、人生のこれまでとは?【木下ココのうつくしいからだ】

現在、ダンサーとしても活躍しているモデル・木下ココが、踊り続ける理由は…? 実母でダンスの師でもある母親との幼少期からの関係を振り返り、その答えを探す。

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2017年7月某日、都内のホールでコンテンポラリーダンスの公演が行なわれた。そのステージで、均整のとれた美しい体をしなやかに動かし、華やかなパフォーマンスを披露するダンサーに釘付けになった。そのダンサーは、モデル・木下ココ。かわいい系モデルの元祖として一世を風靡した彼女は、実は、ダンサーでもあり、この公演の主宰者である菊地純子氏は、彼女のダンスの師であり、実の母親でもある。

実は、この原稿を書いている筆者と彼女との関係は、彼女が本格的にモデル活動をスタートさせた雑誌『PINKY』時代から始まる。休刊までの約5年間、苦楽をともにした、いわば大切な戦友。そんな彼女が、34歳になった今、何を感じ、何を考えているのか、どうして一心不乱にステージで踊り続けるのか、それを知るべく、今回、パーソナルインタビューの企画をもちかけた。表面的なことだけじゃなく、これまでの人生で起きたことを、いいことも悪いこともすべて話してほしい…と。

彼女は「自分をすべてさらけ出すのは正直怖い。きっとみんながイメージしている“木下ココ”とは違うから」と答えた。そして「私がふつうの家庭で愛情いっぱいに育てられたのなら、胸を張って自分の人生を語ることができると思うけど、正直思い出したくない過去もたくさんあるの。人に話すことで辛いことを思い出して、また傷つきたくない」と…。それでも葛藤の末、彼女は、あえてDomaniで、なぜならそこには、女であり、妻であり、母であり、きれい事ではなく、本音で生きている読者がいるからこそ、これまでの人生を洗いざらい語ってくれることを決心してくれた。知り合って13年という月日を経て、私ははじめて彼女の人生を知ることとなる。

父は画家、母はダンサーというアーティスティックな両親のもとに生まれた彼女。両親はニューヨークで出会って結婚。母親は出産のために単身で帰国した。「両親がアーティストだなんてかっこいいね、なんて言われることがあるけど、私は家族にはかっこよさよりも温かさを求めてたんだけどね(笑)。母は私を育てるために、自宅のスタジオでダンスのレッスンを開いたの。私も4歳ぐらいから、年齢がいちばん下の子たちが通うレッスンを受けるようになった。母的には、自分が仕事しながら目の届くところに娘を置いていられるっていうメリットもあって、私がダンスを始めたことはとても自然な流れだったと思う」。

母がいないときは、祖母と伯母が彼女の面倒を見ていた。「父は相変わらずニューヨークに住んでいたから会えるのは年に数回。母もレッスンで自宅にいないことが多かったから、やっぱりずっと寂しかった。おばあちゃんが子守唄を歌って寝かしつけてくれるんだけど、自分の子守唄でおばあちゃんの方が先に寝ちゃうの(笑)。ひとりになるとどうしようもなく寂しさがつのって、母が帰ってくるまでの間、不安で眠れなくて…。子供のくせに、不眠症だったの。母の温もりを求めて、ひとりになると母の服の臭いを嗅ぎながら、母の帰りを待つこともあった」。

「やっと帰ってきた母は、私を構う余裕なんてないほどクタクタに疲れていて、いつもピリピリした空気を出していた。甘えたくても拒絶されているようで甘えられない…っていう幼少期を過ごしたんだけど、今思い出しても苦しい。母は常にまわりの人にサポートされる環境に身を置いていて、それが当たり前になっていたから、子育てにはあまり関心がなかったんだと思う。子どもながらに“母は私に興味がない…”と感じた私は、“早く大人にならなきゃ”って思いがすごく強かったの。私が大人になれば、“母はもっと私のことを見てくれるのかな?”って、大人っぽく振る舞おうと必死だった。でも聞き分けがよすぎると、祖母や伯母たちには“かわいげがない”って言われちゃう。だから、その場その場で求められる自分を演じるクセがついちゃったのかな…」。

4歳で始めたダンスを中学3年まで続けた彼女。一度ダンスを離れたのは、母親が厳しかったから、と語る。「自分の娘なのにダンスが下手なのが許せなかったのかもしれない。“親子関係をスタジオに持ち込むな”って言いながら、レッスン中、私にだけ本当に厳しくて…。ダンスの先生と生徒という関係が、親子関係をさらに複雑にしたのかもしれないね」。

「レッスン以外でも厳しかったよ。門限は夕方5時で、1分でも門限に遅れると正座でお説教。5時ちょうどに帰宅しても『10分前には着いているのが当たりまえ』ってまた叱られるから、実質門限は4時50分(笑)。ファッションやメークとかにも興味をもち始めると、『子どものくせに色気づいて』って叱られるし、休日に友達と遊ぶ約束をしていても、外出させてもらえないの。恋愛やスノボー、カラオケ、繁華街やテーマパークに行くことも禁止だった。まわりにそこまで厳しい家の子がいなかったから、みんなはいつも私が門限にビクビクしているのを理解できなかったみたいで、“あの子、ノリ悪いよね”みたいな空気になってた。そんな環境だったから、叱られる要素をひとつでも減らしてくてダンスを辞めたの。子どものころ、母に褒められた記憶はひとつもない。それでも母に気にかけてほしかったから、中学までは期待に応えるために母の言うことは全部聞いた」。

「だけど、少しずつ自我が芽生え始めたころ、禁止だらけでがんじがらめのその厳しい環境を、改めて窮屈に感じるようになったの。その反動で自由を求めて、高校はゆるい校風の私立に通うことを選んだ。“厳しい門限からもやっと解放される!”なんて喜びは束の間、高校の門限は中学時代の門限にバス通学の時間をプラスした夕方6時。説得を重ねてようやく門限が夜7時に延びたけど、放課後、門限を気にすることなく遊びに行く友達が本当にうらやましかった」。

ゆっくりと、言葉を選びながら、モデルとしてではなく、人間として語る、木下ココ。次回のエピソードの中で、彼女はついに門限を破る。その後の親子関係はいかに…。

撮影/柿沼 琉(TRON)


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