「家を道端に作れば三年成らず」
「家を道端に作れば三年成らず」は、四字熟語である「築室道謀」と、とても似た意味をもつ言葉です。
家を道端に建てようとするものの、通りすがりの人がそれぞれに意見を言うため、何年たっても家が完成しないことに由来します。
転じて、多くの人の意見に耳を傾けていると、物事が先に進まないことを意味するようになりました。実際には以下のように、「築室道謀」と同じニュアンスで活用してみてください。
- 周りの意見を取り入れつつも、家を道端に作れば三年成らずとならないよう、慎重にプロジェクトを進めたいと考えている。
「下手の大連れ」
「下手の大連れ」とは、能力がない人が大勢集まることの例えです。役に立たない人が多くいても、かえって物事はうまくいかないことを意味します。
「下手の大連れ」の「下手」は、弓が下手な人のことです。そのような人が矢を射ると避けにくく、恐ろしいことに由来しています。
何事も人数が多いからといって、必ずしも効率的に進むとはかぎりません。かえってうまくいかないという場合に「下手の大連れ」ということわざは適しています。
- イベント開催にあたり多くのスタッフを収集したが、実際には下手の大連れで不効率なだけだった。
「船頭多くして船山に上る」の対義語

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ここからは、「船頭多くして船山に上る」と反対の意味をもつ対義語についてみていきましょう。
「三人寄れば文殊の知恵」は複数人で相談し合うこと、「鶴の一声」はリーダーの発言で物事が決まることなどを表します。「餅は餅屋」なども含め、それぞれの意味についてご紹介します。
「三人寄れば文殊の知恵」
「三人寄れば文殊の知恵」は、例え凡人であっても3人が集まり相談すれば、よい考えが浮かぶことを意味することわざです。
「文殊」とは菩薩のことで、菩薩様のように素晴らしい知恵が浮かぶことを表しています。
「船頭多くして船山に上る」は、「リーダーとなる人が多いほどうまくいかない」ことですが、「三人寄れば文殊の知恵」は、「凡人でも3人集まればうまくいくという」まるで正反対の意味をもつことわざといえます。
日常生活では以下のように活用してみましょう。
- トラブルが起こるも担当者不在でどうなることかと思ったが、三人寄れば文殊の知恵、力を合わせれば何とかなるものだ。
三人寄れば文殊の知恵ちえ
《文殊は知恵をつかさどる菩薩》凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵が出るものだということ。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「鶴の一声」
「鶴の一声」とは、物事を決定づけるリーダーや有識者、権力者などの発言のことです。難航していた議論などが、それらの人の意見によってすぐ解決することなどを意味します。
類語には「雀の千声鶴の一声」や、「鶴の一声雀の千声」などが挙げられます。雀はつまらない者、鶴は優れた人の例えです。
いずれも「鶴」という存在を優秀なものに例え、その声に大きな力があることを表しています。
- 難航していた会議だったが、社長が参加すると鶴の一声ですぐに終了した。
鶴の一声
多くの人の議論や意見をおさえつける、有力者・権威者の一言。「社長の鶴の一声で決まる」
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「餅は餅屋」
「餅は餅屋」とは、専門的なことは、その道のプロに任せた方がよいという意味のことわざです。「餅は餅屋がつくるものが一番おいしい」という話に由来しています。
「餅は餅屋」ということわざの歴史は古く、江戸時代後期の「いろはかるた」に登場しています。「いろはかるた」とは「いろはにほへと~」から始まる47字と「京」で始まる読み札1枚、計48枚からなる「かるた」のことです。
「いろはかるた」の文句は京都や大阪、江戸とそれぞれで異なり、「餅は餅屋」は京都や大阪のかるたで使われたといわれています。
- PCが動かなくなり困っていたが、さすが餅は餅屋。メーカーに問い合わせたところ、すぐに解決した。
餅は餅屋
餅は餅屋のついたものがいちばんうまい。その道のことはやはり専門家が一番であるというたとえ。餅屋は餅屋。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「船頭多くして船山に上る」を正しく活用しよう
「船頭多くして船山に上る」は、物事を指図する人が多いと、かえって物事はうまくいかないという意味のことわざです。
「船頭」のような物事を導く人の存在は、一見心強いように思えます。しかし、意見が多すぎると、目標への道筋がわかりにくくなってしまうかもしれません。
四字熟語の「築室道謀」も、「船頭多くして船山に上る」と似たような意味をもちます。類語や言い換え表現、対義語など、それぞれの意味を正しく理解し、ぜひ日常生活やビジネスシーンで活用してみてください。
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