【目次】
今夜がヤマなのに
延命をしないと決めたその夜、いよいよ医師から「今夜が生死の境」だと告げられました。
特別面会を許され、ICUの家族待合室で過ごすことに。病院に残ったのはまさかの私ひとり。母と兄は帰宅しました。面会制限のあるICUでは、今日か明日かみたいな危篤状態でも家族が付き添えないこともあると知って、びっくり。ダディにもしものことがあれば、その瞬間を私はひとりで迎えることになるわけで…。
それなのに、最近になって当日のことをふたりに聞いても、記憶がぬけ落ちたみたいに「そうだっけ?」「仕事あったから帰ったのかな」「よく覚えていないんだけど」とのこと(マジか⁉)。
人の記憶なんてあいまいなもの。私にとっては衝撃的だったこともなかったことになっていて、家族でも見ている世界は違うんですね。
30代にもなって暗い部屋で眠れない私は、静まり返った真っ暗な待合室で一睡もできずに午前3時の退出時間を迎えました。何かあればすぐに駆けつけられるよう、朝までダディのそばにいたかったのに、なぜか始発電車も動いていないその時間に外に出され、とぼとぼと帰るはめに。
午前4時。とてもじゃないけど、家で寝ていられる心境ではなく。私の足は、巣鴨の高岩寺に向かっていました。延命地蔵尊として知られる、とげぬき地蔵です。
「神様、仏様。もうワガママ言わない。贅沢もいらない。仕事がうまくいかなくてもいい。この先何があったとしても、ダディには帰って来てほしい。もしダディの命を返してくれたら、私がぜんぶ面倒見るから。最悪、植物人間でもいい。だからどうかお願いです」
朝日が昇るまで、何度も何度も、しつこく祈ったことをおぼえています。お地蔵様に願いが届いたのか否か、ギリギリのところでもちこたえたダディの命。
介護生活を打ち明けると、「実の親とはいえ、よくそこまでできるね」と驚かれることが多々あります。でも、あの夜、私はまぎれもなく自分の意志で願いました。大好きなダディが生きてくれることを。ずっと一緒にいられることを。
だから、だれのせいでもなく、自分の必然としてこの生活を引き受けています。どんなに過酷な状況でも、自分で選択したことだと思えたら、人は前を向いていられるのかもしれません。
イラスト/佐藤えつこ 構成/佐藤久美子
佐藤えつこ
1978年生まれ。14歳で、小学館『プチセブン』専属モデルに。「えっこ」のニックネームで多くのティーン読者から熱く支持される。20歳で『プチセブン』卒業後、『CanCam』モデルの傍らデザイン学校に通い、27歳でアクセサリー&小物ブランド「Clasky」を立ち上げ。現在もデザイナーとして活躍中。Twitterアカウントは@Kaigo_Diary
あわせて読みたい
▶︎たった5分で、人の命の期限って決められますか?