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2019.06.08

絶対に涙を見せなかった父が、子供のようにわんわん泣いた【うちのダディは脳梗塞9】

カリスマモデルとして活躍した後、20代でデザイナーに転身した佐藤えつこさん。順調にキャリアを重ねていた35歳のとき、父親が脳梗塞で倒れ、人生が一変しました。アラフォーにして介護歴は4年。道のりは険しく、今もなお、介護の日々が続いています。けして他人事ではない人生の悲喜こもごもと介護のリアル。家族の前で絶対に泣いたことのなかったお父さんが、号泣したその理由とは――。

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そんなすぐには歩けないんだ

回復病棟の病院では、1日3時間ほどのリハビリを受けていたダディ。寝たきりで1日に目を開けている時間が数分、トイレに行くことはもちろん、排せつも自分でできない状態から、介助されながら車いすに乗る方法や、口の中の食物を胃に飲みこむ嚥下(えんげ)の練習を少しずつしていきました。

入院して3か月ほどたったころ、足の装具をつくることに。後遺症で右足がマヒして不能になってしまったので、起立や歩行を補助するためです。

ダディ本人も自分がよくなるということは、なんとなくわかっていて。でも、装具をつくったら、「歩ける!」と思ってしまったんですね。それは私たち家族側も。

人によってはバランスがとれて歩けるということもあるけれど、装具はあくまで補助。なのに、「コレつくれば歩けるようになるよ」みたいな言い方をしてしまったんです。それがよくなかった。

このころ、少しずつ自分の状況が理解できるようになるにつれて、ダディは突然関係のない動作をしたり、騒いだりするようになっていました。私たちに伝えたいことがあっても、言葉にして口に出したり、文字で書いたり、ジェスチャーで表現することがまったくできない。なんとかして伝えようと、行動と頭の中が混乱してゴチャゴチャになってしまっていたようで。

私や家族、リハビリの担当者、医師、周囲の人たちに対して、トンチンカンな動きをしては、「なんでわかってくれないんだ!!」と必死で伝えようとしていたんですね。でも、体は思うように動かず、言いたいことはまるで理解してもらえない。

もどかしさと不安と悔しさ…その心のモヤモヤが積もりに積もっていたタイミングで、装具ができても、とても歩ける状態ではない自分の現実を突きつけられたダディ。期待が大きかった分、深く落ち込んでしまいました。そして、溜まっていた行き場のない思いがあふれ出したかのように、母にだけ弱みを見せたんです。

人前で絶対泣いたりしなかったダディが、子供のようにわんわん泣いていた。病院の先生によれば、感情をコントロールできなくなってしまうことも、脳の障害の影響のひとつだそうです。

「親が泣く」衝撃というのは、正直、下の世話を初めてしたときより大きくて。とにかくプライドを傷つけちゃいけない。気づいていないフリをして、ダディが眠りについたころ、病室にそっと戻りました。

退院後まもなく、早くよくしてあげなきゃという一心で、〝高次脳機能障害を劇的に回復させるメソッド〟を提唱する、あるクリニックにもダディを連れて行ったことがあります。

実績はある先生のようでしたが、その場の簡単なサインテストでソッコー、「あ、この人は年齢的にもアレですし、あのー、もう完全マヒですから。意味ないです、やっても」と言われてしまった。遠出して行ったのに、それはもう一瞬で希望を打ち砕かれました。

高次脳機能障害の何もかもが手探りで、わからない。

でも、よくなると信じたい。

最初のうちは、どうしても安易に考えたり、勝手に期待して、ダディを傷つけてしまうことも多かった気がします。

イラスト/佐藤えつこ 構成/佐藤久美子

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佐藤えつこ
佐藤えつこ

1978年生まれ。14歳で、小学館『プチセブン』専属モデルに。「えっこ」のニックネームで多くのティーン読者から熱く支持される。20歳で『プチセブン』卒業後、『CanCam』モデルの傍らデザイン学校に通い、27歳でアクセサリー&小物ブランド「Clasky」を立ち上げ。現在もデザイナーとして活躍中。Twitterアカウントは@Kaigo_Diary

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