「目から鱗が落ちる」とは
家電やパソコン、スマートフォンなど高機能なツールを使うときに、これが一番ベストな使い方だと信じてやっていたことが、他の人によりよい方法を教えてもらったとき、「そうか、そんな使い方があるのか! なるほど!」と感じた経験はありませんか? それが「目から鱗が落ちる」です。では、言葉の意味、語源や由来を一緒に見ていきましょう。
■意味
「目から鱗が落ちる(めからうろこがおちる)」の意味は、「いままで気づかなかったことが何かをきっかけにしてわかる」ことです。まさに読んで字のごとく、今までの自分の視野が広がるという意味になります。「鱗」は「うろこ」とひらがなで表現されることも。
また、「目から鱗が落ちる」はよく「目から鱗」などと略して使うことが多い言葉です。「落ちる」ではなく「目から鱗が取れる」は誤用ですので、しっかりと覚えておきましょう。
■語源や由来
「目から鱗が落ちる」は『新約聖書』の『使途行伝』第9章18節にある一文が由来となっています。そこには大宣教師・サウロの物語があります。
熱心なユダヤ宣教師のサウロは、キリスト教信者を迫害していました。サウロが逃げるキリスト教信者を追ってダマスコという地に向かって歩いているとき、サウロ一行はいきなり強い光を浴びます。その光を浴びながら聞こえたのは「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか? 」というキリストの言葉。その光のせいでサウロは視力を失い、食事もとれない状態に。
しかし、その後サウロはキリストが遣わした教徒・アナニアの祈りにより、目が見えるようになったのです。そのときに「目から鱗が落ちたようだ」と書かれています。その後サウロは、パウロと改名しキリスト教に改宗し生涯を伝道に捧げたそうです。このサウロの物語が言葉の由来になります。
『新約聖書』由来のことわざは他にも、「豚に真珠」、「笛吹けども踊らず」などがあります。
鱗というと魚の固く分厚いものをイメージしますが、サウロが旅していたダマスコは内陸から80キロ、海抜650メートルという高地。ですので、川魚のような薄く小さな鱗だったと考えられます。
「目から鱗が落ちる」の使い方を例文でチェック
「目から鱗が落ちる」という言葉は、様々なシーンで使うことができます。感情や知識、そして行動に関わる自分の価値観や常識が広がる、そんなときに使える表現です。ここでは、ほんの一例ですが一緒に使い方を見ていきましょう。
悩みを抱えていた際に耳にした彼の教えは、わたしにとって目から鱗が落ちる思いでした
悩みを抱えていると、どうすればよいのか、わからなくなることがあります。そんなときに自分にはなかった考え方に気づき、心が救われることも。心が洗われ頭がスッキリするような、まさに「目から鱗が落ちる」経験といえます。
今までとはまったく違うやり方もあることを知って衝撃を受けた。まさに目から鱗が落ちた瞬間だった
例えば逆転の発想。いままで一つの見方しかできていなかったときに、まったく違う観点からのアイデアが出るとハッとさせられることはないでしょうか?
また、いままで一つの方法を信じてやっていたことが、もっとよいやり方を得ることによって、「早く知りたかった!」と思うこともあるのでは? 自分の中の固定概念や常識に縛られていた心がスッと開放されるようなそんな感覚も「目から鱗が落ちる」と表すことができます。
わたしが色々な本を好んで読むのは、「目から鱗が落ちる」感覚を覚えるからです
自分の得意ジャンルの本だけでなく、様々なジャンルの本を読むことで、新しい気づきや考え方などを知ることは、まさにこの「目から鱗が落ちる」感覚です。
「目から鱗が落ちる」の類語や言い換え表現は?
悟りを得る
「悟りを得る(さとりをえる)」と読みます。意味は「心の迷いが取れて、真理を得る」で、どちらかというと自らが見つけるという意味合いが強い言葉。「目から鱗が落ちる」は、他からの示唆で気づくという意味合いが強いです。
例文:長く苦しいプロジェクトで一時は辞めようかとまで思いましたが、最後までやり遂げられたおかげで「悟りを得る」ことができました