「精神論」の意味とは
組織や会社に属していると、「もっとやる気を出せ」「根性が足りない」と精神論で対応してくる人が少なからずいるものです。しかし、近年このような論調は時代遅れ・時代錯誤ともいわれるようになりました。似た言葉に「根性論」もありますが、どのような違いがあるのでしょうか? 詳しく見ていきましょう。
「すべては気持ちの持ち方次第」という考え
「精神論」とは、「精神主義」から派生した考え方で、気持ちの持ち方次第で何でも乗り越えられる、思い通りにコントロールできると説くもの。とくにスポーツ界や会社組織に属していると、「気持ちで負けるな」「あいつは根性が足りない」などと耳にすることも多いのではないでしょうか。
精神論では、事実や数字に基づく論理的な思考よりも精神の働きを優先します。事象に対する決定的な要因は、すべて精神力によるものだと判断されるのです。
英語で表すと「spiritualism」とも表現できますが、哲学用語になるため日本語とはすこし意味合いが異なります。粘り強く頑張るという意味では「grit(気骨)」や「guts(根性)」という表現もありますが、これらにもすべては気持ちの持ち方次第というニュアンスは含まれません。英語では意味合いが異なるため、精神論は日本特有の考え方だといえるでしょう。
根性論との違いは?
精神論と似たような意味合いで使われることがあるのが、「根性論」という言葉。根性論は、精神論の中でも「根性」に限定した表現で、精神論の一つと考えられます。
学生時代の部活動で、「根性があれば何でも乗り越えられる」「もっと根性を出せ」といった言葉を、掛けられた経験がある人もいるのではないでしょうか? 主にスポーツ界で使われていた言葉ですが、時代とともにビジネス界でも用いられるようになりました。
しかし、時代とともに根性論の意味合いが簡素化され、「がむしゃらに頑張ることが美徳」という部分だけが取り上げられているとも指摘されています。とくに高度経済成長期は、ただひたすら働く労働力育成が求められた時代です。「がむしゃらに頑張る」ことを標語にすることで、乗り越えられたことも多かったのでしょう。
▼あわせて読みたい
「精神論」が時代遅れだと嫌われる理由
スポーツ界やビジネス界を問わず、「すべては気持ちの持ち方次第」という考え方の精神論は、近年は時代遅れだと嫌われることも多いです。精神論が時代遅れといわれるのには、どのような理由があるのでしょうか。3つの理由を紹介します。