「網代」とは魚群が集まってくる場所という意味
「網代」は定置網の漁場、またはよく魚群が集まってくる場所という意味があります。
【網代:あじろ】定置網の漁場。また、いつも魚群が集まってくる場所。
湖や川に柴(しば)や竹を細かく立て並べ、魚を簀(す)の中へ誘い込んでとる仕掛け。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
この他にも「網代」には、いくつかの意味があります。川や湖で使われる、竹や柴や草を杭のように細かく並べて使って作った魚を獲る仕掛けの名前、檜や杉や竹を細くて薄い板状にしたものを互い違いに編んでいく工芸品の手法の名前などです。
なお魚を獲る仕掛けとしての「網代」は、古来より京都の宇治川で鮎の稚魚を捕獲するために用いられていました。
「網代」の読み方は「あじろ」
「網代」の読み方は「あみしろ」ではなくて「あじろ」です。「網」の代わりに「綱」という文字を使って「綱代」と書き、「つなしろ」と読んでしまう間違いも少なくありません。
「網代」と書いて「あみしろ」と読む場合は、異なる意味になります。「網代(あみしろ)」は漁業経営における漁獲高の漁網に対する配分を表す言葉として、明治時代の見積り表などで使われています。
「網代」の由来
「網代」という名前は、竹や木を細かく組んで網状の仕掛けを作ったことから「網の代わり」ということに由来してつけられました。「網代」という名前がいつ頃に広まったのかは、定かではありません。
しかし「網代」の技術はすでに縄文時代からあったとされています。縄文土器の底部に、土器を作った時に敷物として使われていたと思われる「網代」の編み目の跡がついているものがあるからです。
百人一首でも詠まれた「網代」
「網代」は万葉集などの平安時代の文学でも登場する言葉で、百人一首でも詠まれています。「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」という句です。作者は権中納言定頼(藤原定頼)、句の舞台となっているのは京都の宇治川です。
「明け方になってあたりが明るくなるに従って、宇治川に立ち込めていた霧が途切れ途切れになり、網代がはっきり見えるようになってきた」という風景が描写されています。この句が詠まれた平安時代には、すでに「網代」が一般的なものになっていたということでしょう。
「網代」の使い方と例文
「網代」という言葉が魚を獲る仕掛けという意味で日常会話で使われることは、それほど多くはないでしょう。杉・檜・竹を編んだ形のデザインを表す言葉として、耳にすることがあるかもしれません。
【例文】
・この布の柄は【網代ふじ】と呼ばれるもので、網をモチーフにした紫色の和風のデザインが特徴になっています
・モデルが着ている和服のポイントは【網代】模様です
「網代」という言葉を使った語句
「網代」という言葉が使われている語句は、さまざまなジャンルで登場します。その多くには、木や草を編む技術が使われている物という共通点があります。「網代」は歴史のあるものであり、日本の文化や生活に密着したものであることを示しているといえるでしょう。
ここでは建築用語で使われる「網代垣」「網代天井」や歴史物で登場する「網代笠」「網代車」、工芸で使われる「網代編み」「網代団扇」について、それぞれ詳しく紹介します。