「義憤」の意味は?
「義憤」という言葉を聞いたことはあるものの、具体的にどのような意味なのかはわからないという方も多いはず。「義憤」は、怒っているようすを表しますが、怒りの対象があるものに限定される言葉。まずは、「義憤」の意味を詳しく説明していきます。
読み⽅と意味
「義憤」とは「ぎふん」と読みます。意味を辞書で調べてみると、下記の通りです。
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。(<小学館 デジタル大辞泉>より)
「道義」とは、人として行うべき正しい道のこと。つまり、道理に外れたことや、公平ではないことに対する怒りを表す言葉です。そもそも「義」という漢字は、「人として守るべきこと」を意味します。それに「腹を立てる」という意味の「憤」を合わせて、「義憤」という熟語になっているのです。
この意味からわかるように、「義憤」は何に対しても使える言葉ではなく、「道理に反すること」に対して使います。そのため、「大事な書類をうっかり捨ててしまった後輩に義憤を感じる」「門限を過ぎて帰ってきた娘に義憤を覚える」などは「義憤」の使い方としては適していません。
使い⽅を例⽂でチェック
「義憤」は、「義憤に駆られる」「義憤に堪えない」「義憤を感じる」「義憤に燃える」「義憤を覚える」などと使うことができます。それでは、「義憤」を使った例文を見ていきましょう。
「政治家の汚職事件には、義憤を抱かずにはいられない」
「義憤」は「正しくないことに対して、強い憤りを感じる」という意味なので、「義憤する」という表現で使えそうですが、「義憤する」という表現は一般的には使われません。この例文のように、「義憤を抱く」のほか、「義憤を感じる」「義憤を覚える」といった言い回しで使われます。
「部長のパワハラを受けている同僚は、義憤に堪えないといったようすだ」
「義憤」は「義憤に堪えない」という表現でも使うことができます。「義憤に堪えない」は、「道理に反することに対して、怒りをおさえられない」という意味です。あまりにも激しく怒っているために、その感情を表に出さずにはいられない、もしくは隠すことができないといった場合に使えます。この例文からは、上司からパワハラを受けている同僚が、怒りの感情を抑えられなくなっているようすがうかがえます。
「義憤に駆られた市民は、とうとうデモを起こしたそうだ」
「義憤に駆られる」という言い回しで、怒りの感情に突き動かされるという意味になります。激しく怒っていたり、怒りの感情が高まっていたりする場合に使える表現です。「義憤に駆られる」のほか、「義憤に燃える」という言い回しでも、強い怒りに突き動かされているという意味で使うことができます。海外では、納得のいかない国の取り決めや方針に対して、市民が反論の意を示すためにデモを起こすことも少なくありません。そうした場面を表現した文章です。
類義語や言い換え表現は?
続いて、「義憤」と似た意味を持つ言葉を紹介します。「義憤」との違いについても解説しますので、あわせてチェックしてみてください。
憤慨
「憤慨(ふんがい)」は馴染みのある言葉ではないでしょうか。意味をおさらいすると、「憤慨」は「ひどく腹を立てること」という意味です。単に「怒っている」というよりは、怒りのレベルが非常に高いようすを表しています。「義憤」は、腹を立てている対象が「道理や正義に反していること」ですが、「憤慨」は特に怒りの対象は限定されていません。そのため、「憤慨」のほうが、より幅広いシーンで使えるでしょう。
例文:部長は、後輩の横暴な態度に憤慨していた