Contents
【目次】
公孫樹の読み方と由来
正解は「いちょう」です。ちょっと意外ですよね。どうしてこのような字になったのでしょうか? 実は「公孫樹」は日本古来の木ではなく、中国から伝わって来た木です。由来や起源について見ていきましょう。
■公孫樹の漢字の由来
「いちょう」が「公孫樹」という字になったのはどうしてでしょうか? それは、長老(公)が植樹してから、孫の代になってやっと実が食べられるということから、この漢字が当てられたようです。ちなみにこの「公孫樹」の実は「銀杏(ぎんなん)」。そして「銀杏」は「いちょう」とも読みます。ややこしいですね。
■公孫樹の読み方について
では、どうして「いちょう」と読むのでしょうか? それは「公孫樹」の生まれ故郷、中国の言葉から伝わっています。中国では、「公孫樹」の葉がカモの水掻きに形が似ていることから「鴨脚」と書いて、「イーチャオ」「ヤーチャオ」「ヤーチャウ」などと発音されていました。これが日本に伝わった時に、「イーチャウ」から「イチョウ」になったといわれています。日本でも「いちょう」のことを「鴨脚樹」と書くこともあります。
このように「公孫樹」が「いちょう」であること、他にも「銀杏」や「鴨脚樹」も「いちょう」と読むことがわかりました。どの漢字も当て字でわかりづらいため、漢字は使わずに「イチョウ」や「いちょう」など、ひらがなやカタカナ表記で書かれることが多いのです。
■公孫樹の起源は?
「公孫樹」は、ジュラ紀(紀元前1億9000年)から存在していたようです。当時はイチョウ科の木にも多くの種類があったといわれています。そして世界各地で繁茂していたようですが、その中で唯一生き残った種がこの「公孫樹」。ですので「生きた化石」と呼ばれます。恐竜とともに生きて来たんだ! と思うとすごいですよね。
■日本に来たのはいつ?
「公孫樹」が日本に来たのはいつなのか… 。実は詳しくはわかっていません。『万葉集』などの和歌には詠まれておらず、『枕草子』や『源氏物語』などの散文にも一切見ることはできません。
古くから伝わる話としては、『鶴岡八幡宮の大イチョウ』の話が有名です。いまから約800年前の1219年、三代将軍源実朝が鶴岡八幡宮参拝の際、「公孫樹」の陰に隠れていた甥の公暁に暗殺されるという話です。このことから鶴岡八幡宮のイチョウは『隠れイチョウ』といわれて日本では一番古く有名な「公孫樹」になりました。
しかし、14世紀頃に書かれたとされる鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にはこの『隠れイチョウ』の記載はなく、1685年に徳川光圀の命で編纂された『新編鎌倉志』に記載があります。このことから、『隠れイチョウ』の話は江戸時代の創作ではないかといわれています。現在判明していることは「公孫樹」に関する資料は、室町時代以降にしかないという事実です。
以上のことから、「公孫樹」は1400年代になってから日本に定着したのではないかというのが定説です。日本古来の木でないにも関わらず、現在では東京都、神奈川県、大阪府の木にも選ばれ、身近で親しみのある存在となっています。
公孫樹の特徴
「公孫樹」はイチョウ科の植物で、一つの科に一つの種類しか現存しません。つまり、「公孫樹」はイチョウ科唯一の落葉高木。高さは約30メートルにも達し、葉は扇形で中央に裂け目のある独特な形です。秋になると葉は黄色に色づき落葉します。この落葉が見事な黄色のじゅうたんとなり、各地で観光資源となっています。
雌雄異株で4月頃受粉し、9月頃に授精します。花の形も雄株と雌株で異なり、雄株だけが実をつけます。これが「銀杏」と呼ばれ食用となります。固い皮を剥いて焼いたり、茶わん蒸しなどに入れて食します。
その独特な味や香りが特徴の「銀杏」ですが、道端に落ちた銀杏は踏みつぶされると強烈なにおいを放つため、街路樹には実のならない雄株が植えられることが多いのです。