自分が分からないと思うときって?
自分のことを分かっているつもりでも、ふとした瞬間に「私は何なのだろう?」と感じることがあります。人はどのようなときに、自分を見失ってしまうのでしょうか?
人生の転機で自分を見つめ直したとき
過去を振り返ってみると、「あのときが転機だった」と思えるような出来事がある人もいるのではないでしょうか?転機は人によりさまざまですが、卒業・就職・失恋・結婚など、ビックイベントがきっかけになることも珍しくありません。転機は、「どうしたいのか」「どこに向かって進んでいけばいいのか」と自分を見つめ直すことが多いタイミングです。自分としっかり向き合ったときに明確な目標や叶えたい夢がないと、自分が分からなくなってしまうのです。目標や夢があれば、そこに向かって何をどうすればいいのかを考え行動します。進むべき道がないと気持ちが定まらず、自分を見失いがちになります。
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長所・特技が思い浮かばないとき
新しい職場や子ども関係の付き合いの場など、日々の中で相手に自分を知ってもらうため自己紹介をする場面があります。一般的には自分の長所や特技などを含めて自己紹介をするものですが、いざ何を話すか考えたときに長所や特技が見つからないと、「私自身のPRできることってないのかな…」と落ち込んでしまいます。自分の長所や特技がすぐに思い浮かばない人は、自己肯定感が低いのかもしれません。実際には長所や特技があっても、「長所と言えるほどでもない」とネガティブに捉えてしまうのです。また、欠点ばかりに目がいってしまい、長所や特技が思い浮かばないという場合も。
自分が分からないときの心理状態
人間誰でも、自分を見失うことはあるものです。自分自身が分からなくなってしまったとき、具体的にどのような心理状態にあるのでしょうか?
夢や目標を見失い悲観的になる
自分が分からないと感じることは、今後の夢や目標を見失ったり、自分の将来がイメージできずこの先どうしていきたいのかがはっきりしていないときに陥りやすい状態です。そのため、自分の存在価値があやふやになり、「自分は今まで一体何をしてきたのだろう…」と悲観的になる傾向があります。目標や夢がないと単調な日常になり、1日を過ごすモチベーションが下がってしまう人もいるかもしれません。自己肯定感の低い人は、目標や夢を掲げる前から「自分にはできるわけがない」とネガティブ思考になりがちなため、目標や夢が持てず自分を見失ってしまうこともあります。
何をしても感情が動かない
自分を見失っているときは、悲観的になっていたり、不安を抱えたりして気分が沈んでいます。何をしても感情が動きにくくなり、「楽しい」「うれしい」など、ポジティブな感情がなかなかでてきません。例えば、気晴らしをしようと仲のよい友人とご飯を食べに出掛けても、うまく楽しめなかったり。むしろ、充実した日々を過ごしている友人を見て「私の人生って何なのかな?」と、より落ち込んでしまうことも考えられます。
自分が分からなくなる原因
自分が分からなくなるのには、いくつかの原因が考えられます。原因を知ることで、効果的な対処法も見えてきます。自分に当てはまる原因があるか確認してみましょう。
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いつも我慢ばかりしている
幼少期にやりたいことをさせてもらえなかったり、逆にやりたくないことをやらされたりしたことがある人もいるのではないでしょうか。自分がやりたいことや言いたいことを我慢しなければならないことが多かった人は、自己主張が控えめになり、自分を見失いがちです。親が必要以上に干渉的なのも、自分が分からなくなる原因です。子どもが困らないように何でも先回りして親が決めていると、大人になってもささいなことですら自分で決められなくなってしまうことがあります。また、自己主張しても受け入れてもらえなかったり否定されてきた経験から、自己防衛本能が強い人もいます。傷つきたくないという思いが自分自身を我慢させ、本音が見えなくなってしまうのです。
周りを頼りすぎている
自分を見つめ直したときに、自分が分からないと感じてしまうのは、自分の意志で行動してこなかったことが理由でもあります。特に幼少期に過保護に育てられた人は、大人になっても自分で意思決定ができない傾向にあります。親の意思決定に従うという習慣が、大人になっても他人の意見に合わせるという形で続いてしまうことも。そのため、自分の人生において重要な意思決定も、親や恋人など周りの人に頼らずにはいられないのです。このように周りの人に頼ってばかりいると、自分で考えて行動する機会が失われ、自分を見失う原因に。また、自分の意志が受け入れてもらえなかった経験から、自分の感情を抑え周りに従うことがクセになっているケースもあります。