「干天の慈雨」の意味や読み方とは?
<読み方と意味>
「干天の慈雨」とは「かんてんのじう」と読みます。意味は、「待ち望んでいたものが叶えられること」や、「困難な時に救いに恵まれること」です。
そもそも「干天」の意味は、「日照りが続き、雨がいっこうに降らない時の空模様」。そして、「慈雨」の意味は、「恵みの雨」のことをいいます。この2つの言葉を合わせて、「日照り続きの時に降る恵みの雨」という意味合いの「干天の慈雨」という言葉ができたのです。
「干天の慈雨」はもとからある慣用句ですが、『鬼滅の刃』を見て知ったという方も多いかもしれませんね。アニメ内で「干天の慈雨」は、鬼が痛みをほとんど感じることのない唯一の技として使われています。
代表的な登場シーンは、主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が指令を受け、那田蜘蛛山(なたぐもやま)に行った時。そこで、十二鬼月(鬼の精鋭部隊)の一人である累(るい)の支配下で苦しめられていた母蜘蛛に、炭治郎は「干天の慈雨」を使います。母蜘蛛は、天から降ってくる黄金の雨に打たれながら、穏やかな表情で死んでいきます。
まさに、苦しみから解放する技として、「干天の慈雨」はぴったりといえますね。
<使う時の注意点>
「干天の慈雨」は、辛い状況の時に待ち望んでいたような助けに恵まれることをさします。そのため、辛い状況でない場合や、苦労なくラッキーな出来事にでくわした場合には使いません。
たとえば、「偶然会った叔母に、子供のお小遣いにと10万円もらった」「ライバルだった会社が突然辞退し、コンペで勝つことができた」という場合は、「干天の慈雨」を使う場面には適していません。
使い方を例文でチェック
「干天の慈雨」は救いのたとえなので、人に対してはもちろん、言葉や物、音楽、映画など、さまざまなものに使うことができます。例文を見て「干天の慈雨」をしっかり使えるようになっていきましょう。
「仕事でスランプに陥っていた私に、打開策を示してくれた先輩は、まさに干天の慈雨のような人だ」
「干天の慈雨」を使う対象として一番多いのは、やはり人ではないでしょうか。苦しい状況から救ってくれた人に対して、このような言い回しで「干天の慈雨」を使ってみましょう。
「私にとって干天の慈雨といえば、辛い時に寄り添ってくれたあの音楽のことだ」
「干天の慈雨」のような存在は、人によってさまざまです。この例文のように、音楽や曲も、人を救う大きな存在。「悩んでいた私に友人がかけてくれたひと言は、干天の慈雨のようなものだった」など、言葉に対しても使うことができます。
「書類仕事に1日の大半をとられていたが、新しく導入した業務効率化ツールは、まさに干天の慈雨というべきものだ」
「干天の慈雨」は、サービスや物に対しても使うことができます。この例文では、手間がかかり、大きな負担になっていた作業をIT化することにより、かなりの作業時間が削減されたことを示しています。
類語にはどのようなものがある?
「干天の慈雨」と似た言葉を紹介します。聞いたことがある言葉ばかりで、なんとなく意味はわかるという方も多いはず。しかし、使える状況やニュアンスが多少異なりますので、きちんと理解しておきましょう。
もっけの幸い
「もっけの幸い」とは、思いがけない幸運のことを意味します。漢字では、「物怪」や「勿怪」と書きます。
「もっけ」とは、怨霊や死霊などのことを意味する「もののけ」が変化した言葉。もののけとの遭遇は思いもよらないことですので、「予期しないこと」=「もっけ」という意味に転じました。このことから、予期しない幸運を「もっけの幸い」と言うようになったのです。
「干天の慈雨」とは違い、困難な状況でなくても使える言葉なので、より幅広いシチュエーションで使えることわざです
渡りに船
「渡りに船」は、川を渡ろうとした時に、ちょうどよく渡り場に船がいるという表現です。つまり、「困っている時、望んでいたものや条件が都合よく手に入るこ」とを意味します。予期しない幸運という点では、「もっけの幸い」や「地獄に仏」と同じですが、「渡りに船」は、「ちょうどよく」「都合よく」といったニュアンスが強い言葉です。
地獄に仏
「地獄に仏」は、苦しい時に、予期せず助けに出くわしたことの嬉しさをたとえた言葉です。言葉のとおり、地獄という想像を絶するような厳しい状況のなか、慈悲深い仏に出会えること、つまり「辛い状況で救いのような存在にであうこと」を意味します。「地獄に仏」は、「干天の慈雨」にとてもよく似ている言葉といえますね。
対義語にはどのようなものがある?
辛い状況や困難な状況の時に、幸運に恵まれることを意味する「干天の慈雨」。対義語には、何があるのでしょうか。代表的な2つの言葉を紹介します。