「生々流転」とは繰り返される命のこと
「生々流転(しょうじょうるてん)」とは、主に仏教用語として用いられ、すべての生き物が生まれては死に、死んでは生きるということを繰り返すことを指す言葉です。また、形は変わっても命としては変わらず続くことを指すこともあります。
ということで、タイトルの「○○」に入る言葉は「仏教」でした。
「すべてのものは輪廻(りんね)し、命を変えて生きていく」という死生観は仏教のベースです。「生々流転」はその死生観をわかりやすく示した言葉ともいえるでしょう。
【生々流転】しょうじょうるてん
万物が限りなく生まれ変わり死に変わって、いつまでも変化しつづけること。せいせいるてん。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「永遠の変化」も意味する
「生々流転」という言葉は、死んでも命が消えるのではなく、何かしら別の形となって続くことを指しています。また、その変化に注目し、永遠に変わり続けることを示す言葉として用いられることも少なくありません。
「流転」という言葉は、元々物事が止まらずに変化することを意味する言葉です。そのため、「生々流転」とは生きているものが流転する、つまり何かひとつの形に決まるのではなく変化し続けることを意味します。
読み方は「しょうじょう」と「せいせい」の2通り
「生々流転」の生々は、「しょうじょう」と読むこともありますが、「せいせい」と読むこともあります。意味はどちらも同じです。
また、生々と記載することもありますが、生生と表記することもあります。こちらもどちらも同じ意味で、特に違いはありません。
横山大観の絵画など芸術作品のタイトルにも!
生きているすべてのものは生まれ変わりを繰り返し、命をいつまでもつないでいくという「生々流転」の考え方は、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきました。実際に「生々流転」というタイトルを付けた芸術作品もあり、「生々流転」という言葉が持つ壮大かつ永遠性に惹かれる芸術家が多いことがうかがえます。
例えば、日本画家の横山大観は、1923年に「生々流転」と題した墨絵を完成させました。雨が集まって川になり、海へと注ぎ込み、龍に姿を変えて天に戻っていく様子を40mもの絵巻物に仕上げています。また、龍は雨となり地上に注ぎ込むことから、水の持つ普遍性を表現しているともいえるでしょう。
また、作家の岡本かの子は女性の一生を記した「生々流転」という小説を執筆しました。この作品は岡本かの子が亡くなった後に見つかったものであることから、遺稿と考えられています。
「生々流転」の類語と使い方をご紹介
「生々流転」には、似たような意味を示す言葉がいくつかあります。それぞれの言葉の意味と、具体的な使い方について見ていきましょう。
生生世世(しょうじょうぜぜ)
「生生世世(しょうじょうぜぜ)」とは、生まれては死に、死んでは生まれを繰り返すことで、多くの時代や世の中をわたっていく様子を示す言葉です。「生々流転」とほぼ同じ意味の言葉ですが、変わり続けるという意味合いよりも、いつまでも変わらないという意味合いが強いといえるでしょう。
例えば、次のように使うことがあります。
・【生生世世】、一緒にいようね。
・この思いは【生生世世】、変わらないと約束するよ。
なお「生生世世」は「生々流転」と同じく仏教用語です。現世だけではなく来世、来来世もという意味を込めて使うこともあります。また、世世は、「ぜぜ」だけではなく、「せせ」や「よよ」とも読むことがあります。