「鼬ごっこ(いたちごっこ)」の意味と由来
物事や状況の繰り返しでなかなか決着がつかない状況を指す言葉として、「鼬ごっこ」をご紹介します。収拾がつかない状況を説明する際に、ニュースや新聞記事にも頻繁に登場する表現です。
「鼬ごっこ」の意味は知っていても、なぜ「鼬」が使われているのかはご存じでない方もいらっしゃるでしょう。「鼬ごっこ」の語源は江戸時代にまで遡ります。
「鼬ごっこ」の意味と成り立ちについてご紹介します。
意味は「繰り返しで決着がつかないこと」
「鼬ごっこ」は、お互いがいつまでも同じことを繰り返していて、決着がつきそうにないシーンで用いられる言葉です。「鼬ごっこ」の読み方は「いたちごっこ」で、ひらがな表記が一般的に多く見られます。
【鼬ごっこ】いたちごっこ
1. 子供の遊戯の一。二人が「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら、互いに相手の手の甲をつねって自分の手をその上にのせ、それを交互に繰り返す遊び。
2. (1の遊びはきりがないところから)互いに同じようなことをいつまでも繰り返すだけで、決着がつかないこと。「―の愚かしい議論」
鼬は、食肉目イタチ科の夜行性の哺乳類で、緊迫すると悪臭を放って逃げるという特性を持っています。日本全土に生息している身近な動物だといえるでしょう。
由来は昔の手遊び
「鼬ごっこ」の成り立ちには、動物の鼬の生態が直接関わってはおらず、江戸時代に流行した鼬が登場する子供の手遊びが起源です。「いたちごっこ、ねずみごっこ」と歌いながら、2人でお互いの手の甲をつねり、その上に自分の手を載せるのを繰り返す遊びです。
この手遊びには、勝ち負けなどの終わりが定められていないため、永遠に繰り返される終わりのない状況を比喩して使われるようになりました。
「鼬ごっこ」の4つの類似表現
「鼬ごっこ」と同じような状況を指す言葉として、次の4つの表現をご紹介します。言い換え表現をいくつか用意しておくと、いざという時にスマートに対応できますよ。
【鼬ごっこの類似表現】
・「堂々巡り」
・「水掛け論」
・「千日手」
・「埒が明かない」
それぞれの表現の意味と使い方のポイントを分かりやすくご紹介します。特に「鼬ごっこ」と混同されやすい「堂々巡り」の由来も確認しておきましょう。
1.「堂々巡り」
「堂々巡り」は、同じような議論や思考が繰り返され、なかなか進行しないことを意味します。会話で使われる際には、「する」を付けた形で「なかなか結論が出ず考えが堂々巡りする」のように使われることが多いです。
また、国会での議決投票において、投票箱に議員が順次投票していく様子を表現する際にも用いられます。結論が出るのに時間がかかり、じれったく感じるニュアンスが「鼬ごっこ」と共通している部分です。
【堂堂巡り/堂堂回り】どうどうめぐり
1.祈願のために、仏堂などのまわりをぐるぐるまわること。
2. 同じようなことが何度も繰り返され、進行しないこと。「議論が―する」
3. 国会で投票によって議決するとき、議員が演壇上の投票箱に順次投票することの俗称。
「堂々巡り」の由来はまわる儀式
「堂々巡り」の言葉の語源は、祈願をするために僧侶が何度も何度も御堂をまわる行為です。同じ場所をまわっているため、前に進んでいない状態であるのがポイントです。
「堂々巡り」自体にも、仏堂のまわりをぐるぐるまわるという意味が含まれています。1651年にまとめられた俳諧撰集『崑山集』などで、堂々巡りに関する記載が確認できます。
2.「水掛け論」
「水掛け論」とは、お互いが自分の言い分を曲げず、議論に進展がないことを表します。相手の意見には耳を貸さず、自分の主張を押し通そうとして結論がまとまらない様子を描写する表現です。
水を掛け合うような、勝敗の決めようがない論争が「水掛け論」の語源になったとされています。一方で、自分の田んぼに水を優先して引こうと争う様子を模したという説もあります。
3.「千日手」
将棋などで何度も同じような局面が訪れ、勝負がつかない様子を「千日手」といいます。「千日手」の読みは「せんにちて」です。
将棋では「千日手」で同一局面が4度表れると、無勝負とされ、初めから打ちなおさなければなりません。そこから派生して「千日手」は「同じような攻防が繰り返され、決着がつかないこと」を指す際にも使われるようになりました。
4.「埒が明かない(らちがあかない)」
「埒が明かない」は、解決しようとしているものごとの決着がつかず、かたがつかないことを意味します。特にスムーズに進めようとしている所で、何かしらの理由で上手く進まない苛立たしさを表現する際によく使われます。
「埒が明かない」の「埒」は馬場の周囲に張り巡らされた柵を意味します。物事の区切りや限界という意味も持っており「権限の埒を超えている」のように使える表現です。
「鼬ごっこ」と「堂々巡り」の違い
類似表現としてご紹介した4つのなかでも、特に「堂々巡り」はしばしば「鼬ごっこ」と混同されやすい表現です。しかし、「鼬ごっこ」と「堂々巡り」は全く同じ状況を指しては使えないため、使い分けのポイントを押さえておく必要があります。
2つの表現を使い分けるには、同じ状況が繰り返され、決着がつかない場面に関わっている人数を確認します。
・「鼬ごっこ」複数人いる場合に使える
・「堂々巡り」1人の場合でも使える
使い分けのポイントは人数
ものごとが進まず決着がつかない様子を表す「鼬ごっこ」と「堂々巡り」を正しく使いこなすポイントは、人数に着目することです。「鼬ごっこ」の場合は、2人または2つの団体がお互いに同じことを繰り返す様子を表すため、誰か1人しかいないシーンでは使えません。
一方の「堂々巡り」は、登場人物が1人の場合でも利用できる表現です。例えば、自分の中で結論がまとまらない事を表現するには「考えが堂々巡りで一晩中考えても結論がでない」のように使われます。
同じ場面を「鼬ごっこ」を使って表すのは不適切です。1人で考えているのではなく、両者が譲らず意見がまとまらない場合は「もう何時間も鼬ごっこな議論が続いている」と表現できます。
「鼬ごっこ」を使った例文
「鼬ごっこ」の例文を参考にして、表現を普段の会話の中でも使いこなせるようにしましょう。
【例文】
・地域の保護活動グループはもう何年も、ゴミの不法投棄をする住民と【鼬ごっこ】を続けている。
・何を言っても【鼬ごっこ】状態のクレーマーには、上司に対応してもらう手筈になっています。
・技術力を競い合っている競合他社との争いは、まさに【鼬ごっこ】だ。
「鼬ごっこ」の類似表現との使い分けをマスターしよう
両者がずっと同じことを繰り返し、なかなか決着がつかない様子を意味する「鼬ごっこ」には、「堂々巡り」や「水掛け論」といった類似表現があります。
少しずつ使えるシーンが異なっているため、それぞれの表現の特徴を知っておくと誤用を防げる上に表現の幅を広げられますよ。特に「堂々巡り」との使い分けは、1人では使えないのが「鼬ごっこ」だと覚えておきましょう。
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(引用全て〈小学舘 デジタル大辞泉〉より)