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2024.02.14

心頭滅却とは無の境地に入ること!意味や例文、誰が言った言葉か詳しくご紹介

 

「心頭滅却」とは無の境地に入ること、また、無の境地に入って苦痛を感じないことを指す言葉です。どのような状況で使う言葉なのか、例文を使って見ていきましょう。また、「心頭滅却」の言葉の由来となった人物や類義語についてもご紹介します。

「心頭滅却」とは心から邪念を払うこと

「心頭滅却」とは、心から雑念や邪念を払うことを意味する言葉です。「心頭」とは心のことを指し、心を滅却した状態、つまり、心の中で湧き上がるさまざまな思いを取り払い、落ち着いた気持ちで物事に臨むことを表現しています。

イライラして頭にカッと血が上ったときなどには、「心頭滅却」して、少し気持ちを落ち着けてから行動することができるでしょう。

焚き火

正確には「心頭滅却すれば火もまた涼し」

心頭滅却」とは「心頭滅却すれば火もまた涼し」という文章の一部を切り取った言葉です。少し長いので、「心頭滅却」だけでも意味は通ります。

文字通りの意味は、心にある雑念を抑え、無の境地に入れば、例え火の中にいても熱く感じることはなくなるということです。この意味から転じて、無の境地に入ることができれば、どんな困難も乗り切れるという意味でも使われるようになりました。

【心頭を滅却すれば火も亦涼し】しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし
無念無想の境地に至れば、火も熱くは感じなくなる。どんな苦難にあっても、それを超越した境地に至れば、苦しいとは感じなくなるものである。甲斐恵林寺の快川紹喜が織田信長に攻められ火をかけられた時に、この偈(げ)を発したという。

(引用:小学館『デジタル大辞泉』より)

焼死した快川紹喜の言葉といわれている

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉は、山梨県甲府市にある恵林寺の僧、快川紹喜(かいせんじょうき)の言葉とされています。快川紹喜は武田信玄からの信頼が厚く、信玄たっての願いを聞く形で恵林寺の住職に就任しました。

信玄の死後は、快川紹喜は信玄の息子・勝頼の師となり、尊敬を集めます。その後、勝頼は織田信長との戦いに敗れ、武田家は滅亡しますが、戦いはそれでは終わりませんでした。戦火を逃れた人々が武田信玄の廟のある恵林寺に逃げ込み、それを追う形で信長勢は恵林寺を火攻めにします。

追い詰められた快川紹喜は「安禅は必ずしも山水をもちいず」「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」という言葉を放ち、炎の中で生を閉じました。この最後の言葉は「心頭滅却」や「心頭滅却すれば火もまた涼し」のように現代でも使われています。

「心頭滅却」の使い方を例文でご紹介

「心頭滅却」の使い方を、いくつかの例文と共に見ていきましょう。

例文

心頭滅却すれば火もまた涼しというけれど、ここまで暑いと我慢できない。早くエアコンをつけよう。
・昨日から様子が少しおかしいですね。心頭滅却して仕事に集中してください。
心頭滅却して努力をすれば、きっと今まで以上の成果を上げることができるでしょう。

 

心頭滅却」という言葉は集中するときにも用いますが、暑さを我慢するときにも用います。現代的な用法では、どちらかというと暑さを我慢するほうに使うことが多いようです。うだるような暑さの夏や、エアコンの効きが悪いときなどに使ってみましょう。

瞑想する女性のイラスト

「心頭滅却」の類語の使い方を例文でご紹介

「心頭滅却」と似たような意味の言葉はいくつかあります。例えば「心頭滅却」を「集中する」という意味で使う場合であれば、「無念無想(むねんむそう)」や「明鏡止水(めいきょうしすい)」などの言葉と置き換えられるでしょう。

また、「心頭滅却」を「暑さを我慢する」の意味で用いる場合には、「伊達の薄着(だてのうすぎ)」で置き換えられるでしょう。それぞれの類語を使った例文をご紹介します。

無念無想(むねんむそう)

無念無想」とは、すべての雑念を捨てて無の境地に入ることを指す言葉です。余計なことは考えずに無の境地に入ることで、感性が研ぎ澄まされ、より優れた判断ができるかもしれません。一方、「しっかりとした考えを持たない」というマイナスの意味で使われる場合もあるので、文脈で意味を判断することが大切です。次のように使ってみましょう。

例文

・今日も朝から子供たちが兄弟喧嘩をしている。私は無念無想で不快な声を聴かないようにした。
・つい気が散ってしまって勉強に集中できなかったけれど、無念無想の気持ちでこれからは学習に取り組もうと思う。
・彼はどうやら無念無想のようだ。もう少しきちんと考えて仕事をして欲しい。

 

明鏡止水(めいきょうしすい)

「明鏡止水」とは、邪念やくもりがない気持ちのことを指す言葉です。そのまま使うよりは、「明鏡止水の心」や「明鏡止水の気持ち」のように心や気持ちを後につけて使う傾向にあります。次のように使ってみましょう。

例文

・最近は家に閉じこもって生活している。余計な世情に惑わされず明鏡止水の気持ちになるはずだが、日一日と雑念が増え、心が落ち着かないのはなぜだろう。
・問題が解決したと思ったら新しい問題が生じるので、なかなか明鏡止水の気持ちにはならない。
・彼の澄み切った表情から、明鏡止水の心なんだろうと推測される。

 

伊達の薄着(だてのうすぎ)

「伊達の薄着」とは、おしゃれのために薄着でいることを指す言葉です。「心頭滅却」のように雑念を払っているのではありませんが、本当は寒いのに我慢している点は似ているといえるでしょう。次のように用いることができます。

例文

・真冬でも着ぶくれしているのを見たことがない。伊達の薄着とは彼のような人のことだ。
・すっきりと見せようと伊達の薄着をしたけれど、やはり寒さには勝てない。もう一枚着てくればよかったと後悔している。
伊達の薄着でももう少し着たほうが良いよ。

 

「心頭滅却」の対義語「意馬心猿(いばしんえん)」

心頭滅却」の対義語としては、「意馬心猿(いばしんえん)」が挙げられるでしょう。欲望などの雑念で心が乱れている様子を示す言葉で、馬や猿が騒いでいる様子に由来します。

例文

・昨日と今日はどうも気持ちが落ち着かない。意馬心猿とはよくいったもので、心の中で馬や猿たちが大騒ぎしているようだ。
意馬心猿の様子だが、それではまともな判断ができないだろう。「明鏡止水」の心を持てるように、修行をしてみたらどうだろうか。

 

「心頭滅却」の意味を理解して日常生活で使おう

「心頭滅却」は、余計な雑念を払い、落ち着いた気持ちになることを指す言葉です。近年では暑さを我慢するときに用いる傾向にあります。

由来や意味を理解しておくと、さらに使いこなせるようになるかもしれません。正しい知識を身につけて、心頭滅却の言葉を日常生活でも使っていきましょう。

水辺で瞑想する女性のイラスト

写真・イラスト/(C) shutterstock.com

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