「対岸の火事」の意味&混同しやすい表現との違い
「対岸の火事」は日常会話やビジネスシーンなどで用いられることわざで、読み方は「たいがんのかじ」です。何か問題について述べる際に「対岸の火事」を使うと、自分にとっては無関係であることを表せます。
「高みの見物」など混同しやすい表現もいくつかあるため、それぞれの違いを整理しておきましょう。ここでは、正しい意味や混同しやすい表現などについて解説します。
意味は「自分には無関係で影響がないこと」
まずは「対岸の火事」の意味を辞書で確認してみましょう。
【対岸の火事:たいがんのかじ】
《向こう岸の火事は、自分に災いをもたらす心配のない意から》自分には関係がなく、なんの苦痛もないこと。対岸の火災。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「対岸の火事」は、重大な問題が起こっていても、自分には関係がなくて苦痛がない様子を表す言葉です。川の向こう側で火事が起こっている状況をイメージしてみましょう。火事は大変なトラブルですが、川を挟んでいるため、こちら側に被害は及びません。
「対岸の火事」は、このように自分に近い範囲で大きな問題が発生しているものの、自分には影響がないという意味があります。
「対岸の火事」と混同しやすい表現3つ
「対岸の火事」には、字面が似ていることから混同されやすい言葉がいくつかあります。代表的な3つを以下にまとめました。
1.他山の石
2.高みの見物
3.明日は我が身
「対岸の火事」とあわせてそれぞれの違いをきちんと理解し、正しく使い分けられるようにしておきましょう。ここでは、「対岸の火事」と混同しやすい表現についてわかりやすく解説します。
1.他山の石
「他山の石」は中国の詩集に由来する故事成語で、他人の失敗やミスも自分にとっては学びとなるという意味です。問題などが自分に無関係である点は、「対岸の火事」と共通しています。
ただし、「他山の石」にはどんなことでも参考になるというニュアンスがあり、起こった出来事と自分を切り離して考えるわけではありません。字面は似ているものの、意味合いが異なるため注意しましょう。
2.高みの見物
「高みの見物」の意味は、自分には影響が及ばない物事を第三者目線で傍観することです。例えば、起こっている出来事を興味本位で眺めるような状態を指します。
物事を離れた視点から見るのは「対岸の火事」と同じですが、「対岸の火事」は「自分には関係ないと思うこと」、「高みの見物」は「無関係と認識したものを面白半分で見ること」というニュアンスです。
3.明日は我が身
「明日は我が身」は、他人に起こった悪い出来事がいつ自分に降りかかるかわからないという意味です。「対岸の火事」は他人事というニュアンスが強いですが、明日は我が身は自分にも起こるかもしれないと意識することを表すため、他人事という意味合いはありません。
「明日は我が身」は自身を戒める表現であることから、座右の銘とする人も多いです。なお、「対岸の火事」を「対岸の火事とせず」と否定の形で使う場合は、「明日は我が身」と同じような意味をもちます。
【例文付き】対岸の火事の使い方
「対岸の火事」は主に2つの使い方で用いられます。1つ目は、起こっている出来事が自分には影響しないと述べるケースです。発生している問題が自分にとっては他人事である場合は、以下の例文のように表現するといいでしょう。
・彼の苦労は理解できるが、【対岸の火事】のためどうすることもできない。
・駅前で知らない人同士が揉めていたが、【対岸の火事】なので何もしなかった。
2つ目は、自分を戒める言葉として使うパターンです。この場合は「対岸の火事とせず」「対岸の火事と思わないで」のように、否定の形にするのが基本です。否定の表現を組み合わせることで、「問題が自分にも起こりうるかもしれないと考え、他人事と思わないようにしよう」という戒めの意味合いを強調できます。
具体的な例文は以下を参考にしてください。
・他社の失敗を【対岸の火事とせず】、自社の問題として対策を練りましょう。
・離れた地域で起こった災害を【対岸の火事と思わないで】、備えを徹底することが大切です。
「対岸の火事」の類義語と対義語
「対岸の火事」の使い方などを理解したら、関連する表現も一緒に覚えておくのがおすすめです。例えば、「対岸の火事」には以下のような類義語があります。
・川向こうの火事
・山門から喧嘩見る
また、反対の意味をもつ言葉もいくつかあります。
・隣の火事に騒がぬものなし
・介入
・お節介
ここでは、「対岸の火事」の類義語や対義語について詳しく解説します。
類義語は「川向こうの火事」など
「川向こうの火事」は、「対岸の火事」と同じ意味をもつ表現です。「対岸」と「川向こう」を入れ替えただけで、「対岸の火事」と同じく自分には少しも影響が及ばないことを指します。なお、「川向こうの喧嘩」という表現もありますが、こちらも意味は同じです。
「山門から喧嘩見る」はことわざの一つで、「他山の石」と同じ意味をもちます。仏教に由来しており、お寺の山門のように穏やかな場所から巷の喧騒を眺める様子を表します。