類語は「しり込みをする」「優柔不断」
まずは「二の足を踏む」の類語から見ていきましょう。
「しり込みをする」
「しり込みをする」とは、おじけて後ずさること、また気後れしてぐずぐずとためらうことを意味する言葉です。文字どおり、お尻が後ろに引けてしまう様子をあらわします。「失敗することを恐れてしり込みをする」というように使います。
「優柔不断」
「優柔不断」は、潔く決断ができずぐずぐずしていることやその様子をあらわす言葉です。「優柔不断な発言」という使い方をします。
いずれも思い切れずにためらう「二の足を踏む」と似たような意味であるといえるでしょう。
対義語は「決断」「思い切る」
次に「二の足を踏む」の対義語を見ていきましょう。
「決断」
「決断」とは、意志をはっきりと決定することを指す言葉です。「決断を迫られる」などと使います。
「思い切る」
「思い切る」は、決心する、覚悟するという意味です。「決断」も「思い切る」も、きっぱりと決めるというニュアンスがあるため、思い切ることができずぐずぐずとためらうことを意味する「二の足を踏む」とは対照的な意味の対義語とされる言葉です。
「足」や「二」が含まれる慣用句
「二の足を踏む」に含まれる「足」や「二」が使われる言葉は、ほかにもあります。ここからは「足」が含まれる「足が棒になる」「浮足立つ」、「二」を使った「瓜二つ」「天は二物を与えず」について、それぞれの意味や使い方について解説していきます。「二の足を踏む」と一緒にこれらの言葉を理解することで、さらなる語彙力の向上を目指しましょう。
足が棒になる(あしがぼうになる)
「足」が含まれる関連語である「足が棒になる」とは、長く立っていたり歩いたりしたために、疲れて足の筋肉がこわばる様子をあらわす言葉です。
足の感覚がなくなり、まるで棒のように感じる状態を表現しています。「山道を歩き続けたせいで、足が棒のようになってしまった」というように使います。同じような意味の「足を擂り粉木(すりこぎ)にする」も覚えておきましょう。
浮足立つ(うきあしだつ)
「足」の字が用いられる「浮足立つ」は、不安や期待によって落ち着かないことという意味の言葉です。不安を感じて逃げ腰になるという意味もあります。
嬉しくて浮かれる様子に使うのは誤用です。その場合は「浮足立つ」ではなく「浮き立つ」が正解です。「初出社に浮足立ってしまい、さっそくミスをしてしまった」というように使います。
瓜二つ(うりふたつ)
「瓜二つ」は「うりふたつ」と読み、瓜を2つに割ったときにその2つはとてもよく似ていることから、親子や兄弟などの顔かたちが非常に似ていることをたとえた言葉です。
本来は物同士が似ていることに対して瓜二つであるというのは誤りですが、現在では人の顔かたち以外にも使っているケースもしばしば見受けられます。「彼女は姉と瓜二つだ」などと使います。
天は二物を与えず(てんはにぶつをあたえず)
「天は二物を与えず」とは、天は人にいくつもの才能を与えてはくれないという意味のことです。そこから、どんなに優秀な人でも不得意なことがあるというニュアンスでも使われます。「天は二物を与えずという通り、彼は勉強は得意だがスポーツはまるで駄目だ」というように使います。
一方、「与えず」という否定形ではなく「与えた」と使うことで、才能に恵まれた人がさらに別の分野でも秀でていることを「天は二物を与えた」と表現することも抑えておきましょう。
まとめ
「二の足を踏む」とは、思い切れずにためらうことをあらわす言葉です。一歩目は出せたのに、不安や心配が勝ってしまい、二歩目以降を踏み出すことができない状態を指します。
「二の舞を演じる」という言葉と混同しやすいですが、「二の舞を演じる」は前の人のミスを自分も繰り返してしまうことを意味するもので、まったく別物であるため注意しましょう。
「二の足を踏む」の類語には「しり込みをする」「優柔不断」、対義語には「決断」「思い切る」などがあります。「二の足を踏む」の意味や由来を理解して、適切に使いましょう。
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