「曲学阿世」の意味や読み⽅とは?
「曲学阿世」は日常的になかなか使わない言葉のため、読み方も意味も思い浮かばないという人もいるかもしれません。まずは、「曲学阿世」の読み方や意味、由来を解説していきます。
読み⽅と意味
「曲学阿世」の読み方は、「きょくがくあせい」です。意味は、「学問の真理をねじ曲げて、世間や権力者に気に入られようとすること」。学問の本来の意味を無視して、権力を持つ人や世の中にとって都合の良い話をする様子をあらわします。
また、言葉の成り立ちについても説明しましょう。「曲学阿世」の「曲学」とは、「真理をねじ曲げた学問」のこと。「阿世」とは、「世の中に媚びへつらうこと」です。この2つを組み合わせて、「曲学阿世」という四字熟語が成り立っています。なお、「曲学阿世」は学問が関係する場面で使われる言葉。それ以外の場面では使わないように注意しましょう。
由来
「曲学阿世」の語源は、中国の前漢時代の歴史書である「史記」のなかの「儒林列伝(じゅりんれつでん)」がもとになっているといわれています。ここで書かれているエピソードを簡単に紹介しましょう。
前漢の皇帝である武帝(ぶてい)は、当時、名を馳せていた轅固生(えんこせい)という詩人を登用することにしました。この轅固生が公孫子(こうそんこう)という若い学者に、「現代は学問が乱れ、俗説が流行ってしまっている。しかし、正しい学問に励み、真実を伝えなさい。学問をねじ曲げて、世の中にへつらうべきではない」と言ったのだそう。この言葉が、「曲学阿世」の由来であるとされています。
「曲学阿世の徒」とは?
「曲学阿世の徒」とは、「世の中にへつらい、真理を曲げる人たち」のことをさす言葉です。これは、もともと、戦後、総理大臣を務めた吉田茂が、東京帝国大学の総長であった南原繁に放った言葉が由来。当時、連合国との全面講和論を説く南原繁を、志田茂は「曲学阿世の徒」と言い、強く批判しました。この言葉がきっかけとなって、「曲学阿世を行う人」=「曲学阿世の徒」という表現ができたのだそうです。
「曲学阿世」の使い⽅を例⽂でチェック
続いて、「曲学阿世」を使った例文を紹介しましょう。「曲学阿世」は、「学問の真理をねじ曲げて、世間や権力者に気に入られようとすること」という意味ですので、学問が絡む場面で使われます。難しい言葉ですが、例文を見て、使い方のイメージを膨らませてみてください。
「ワイドショーに出ているのは、曲学阿世な学者ばかりだ」
「曲学阿世」は、「曲学阿世な学者」や「曲学阿世の人」など、人のことを修飾する表現でも使えます。この文からは、ワイドショーに出演している学者が、権力者や世間が好むような学説を述べている、ということがうかがえます。
「あの会社には、曲学阿世の徒が多いと聞いた」
この例文では、「権力に媚びへつらい、真理を曲げる人」のことをさす「曲学阿世の徒」という表現を使っています。ドラマや小説の中では、大企業などで権力争いが存在することも。真理をねじ曲げてまで、絶対的な権力者に気に入られようとする人のことをあらわした一文です。
「曲学阿世と言われないよう、正しい学問を追求していきたいと思います」
ここでは、「曲学阿世と言われないよう」という表現を使い、「権力者に媚びへつらうような人にはならない」という気持ちをあらわしています。
類語や⾔い換え表現にはどのようなものがある?
「世の中に媚びるために、真理を曲げること」を意味する「曲学阿世」。その類語には、「阿世曲学」「阿諛追従」といった難しい四字熟語のほか、「媚びを売る」などがあります。例文も一緒に紹介しますので、それぞれの言葉をしっかり押さえておきましょう。
阿世曲学
「阿世曲学」とは「あせいきょくがく」と読みます。意味は「正しい学問を曲げて、世間や権力者にへつらうこと」。「曲学阿世」の「曲学」と「阿世」を入れ替えた表現ですので、意味もまったく同じです。
例文:どんなに偉大とされる学者でも、権力者の前では阿世曲学になってしまう