「三つ子の魂百まで」とは?
何気なく使うことが多い、「三つ子の魂百まで」ということわざ。「三つ子の魂百まで」とは、そもそもどんな意味があるのでしょうか? 由来もあわせて見ていきましょう。
意味
「三つ子の魂百まで」は「みつごのたましいひゃくまで」と読み、「幼いころの性格は、年をとっても変わらない」という意味。「三つ子」は「幼少期」、「魂」は「性格」、「百まで」は「年老いても」という意味を表しています。
「三つ子」は三人きょうだいのことではないので、間違えないように注意してください。一般的には、「三つ子」や「百」は、「3歳」や「100歳」という具体的な年齢のことではないとされています。
また、「幼い頃の習慣や習い事のスキル、習得した知識を忘れない」という解釈は誤りです。
「三つ子の魂百まで」の類語表現とは?
「三つ子の魂百まで」ということわざですが、他にも同じような意味を持つ表現はあるのでしょうか? 具体的な例文とあわせて見ていきましょう。
1:「雀百まで踊り忘れず」
「すずめひゃくまでおどりわすれず」と読み、「若い時に身についた習性は、年をとっても変わらない」ことを意味したことわざ。「スズメが地面を踊るように飛び跳ねて歩く癖は、最後まで治ることがない」ことから由来しています。
例文:考え事をすると、今でも徹夜してしまいます。雀百まで踊り忘れずですね
2:「噛む馬はしまいまで噛む」
「かむうまはしまいまでかむ」と読み、「悪い癖は、最後までなおらない」ことを意味したことわざ。「人を噛む癖のある馬は、最後まで人を噛む」という、悪い習慣が由来なので、よい意味では使いません。
例文:彼は、いつも途中で投げ出してしまう。本当に、噛む馬はしまいまで噛むだな