2:道は則(すなわ)ち高し、美し。約なり、近なり。
(人の歩むべき道は、気高く美しいもの。簡単で身近なもの)
この言葉の後には、「人徒(いたず)らに其の高く且つ美しきを見て以て及ぶべからずと為し、而(しか)も其の約にして且つ近く、甚だ親しむべきを知らざるなり。」(人は、気高さと美しさだけを見て、とても及びがたいと思い込む。道が簡単で身近な、親しみやすいものであるということを知らない)という言葉が続きます。
目標を立てて行動していると、「あれもしなければ」「これもしなければ」と気持ちが急いてしまうこともしばしば。そんなとき、気持ちを落ち着かせてくれる言葉です。志を立てたときの、シンプルな気持ちに立ち返ることができるのではないでしょうか。
失敗したときに、聞きたい言葉
志を立てて行動していると、失敗することは当然あります。そんなとき、失敗の原因となるある行為を吉田松陰は自戒していました。
1:余寧(むし)ろ人を信じるに失するとも、誓って人を疑うに失することなからんことを欲す。
(人を信じて失敗することがあっても、決して人を疑って失敗することはないようにしたい)
吉田松陰の第一の主著、『講孟余話』の中に出てくる言葉。人を信じて、失敗することがあります。そして反対に、人を疑って失敗することも。松陰はその中でも「疑って失敗することはないようにしたい」と言いました。
2:一月(ひとつき)にして能(よ)くせずんば、則(すなわ)ち両月にして之(こ)れを為さん。
両月にして能くせずんば、則ち百日にして之れを為さん。
之れを為して成らずんば、輟(や)めざるなり。
(1か月でやり遂げることができないならば、二か月かける。二か月でできなければ、百日かける。できないからといって、途中で辞めないことだ)
吉田松陰は、自分の志を手放さずに、生涯を通じて誠実に行動に落とし込みました。その精神が表れているのが、この言葉。「やり遂げるまでやる」「途中で投げ出さない」という覚悟と行動からは、勇気がもらえるような気持ちになるでしょう。
辞世の句の言葉「大和魂」
吉田松陰は処刑直前に、江戸・小伝馬町牢屋敷の牢内で死を予知し、遺書を書き始めます。この遺書は『留魂録』と命名されました。冒頭に掲げられた原文と現代語訳を紹介します。
(原文)「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留《とど》め置かまし大和魂」
(現代語訳)私の身がたとえ武蔵の地で朽ちてしまったとしても、大和魂だけはこの世に留めおきたいものだ
この『留魂録』を書き上げた翌日、松陰は刑に処されました。
松陰は『留魂録』の中で、「義卿(ぎけい)三十、四時(しいじ)己(すで)に備わる」(自分は30歳で死ぬけれども、一年に四季があるように、人生の四季はすっかり備わっている)という有名な言葉を残しています。10代で若くして死ぬ者も、長生きした者も、人生の中でやるべきことをやったのだ、ということを表しているのかもしれません。
その後には、「若(も)し同志の士其の微衷を憐れみ継紹(けいしょう)の人あらば、乃(すなわ)ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼(かか)の有年に恥じざるなり」(自分の説いた教えを、同志が受け継いでくれるなら、自分の志は滅びることなく、我が人生は実りあるものだったと思えるだろう)と続きます。
『留魂録』の最後には、弟子たち一人一人にアドバイスが残されています。松陰は死ぬ間際になっても「至誠」を貫き、教育をしたのでした。
最後に
吉田松陰は、思想と本人の実践とが一致している人物でした。30歳の早すぎる死を前にしても、自らの思想と生き方を全うした吉田松陰の志のありよう。今を生きる私たちも、学ぶことが多いですね。
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