羞恥心とは?意味をわかりやすくご紹介
「羞恥心(しゅうちしん)」とは、恥ずかしく感じる気持ちのことです。なお、「羞恥(しゅうち)」だけでも、恥ずかしいと思うことの意味があります。
【羞恥心】しゅうちしん
恥ずかしく感じる気持ち。「―のない人」しゅう‐ち〔シウ‐〕【羞恥】
恥ずかしいと思うこと。恥じらい。「羞恥を覚える」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「羞恥心」や「羞恥」は、書き言葉としても使われますが、日常会話でも使われます。いくつか例文を通して、使い方やニュアンスを見ていきましょう。
・人前で身内の悪口をいうなんて……。彼女には羞恥心がないのだろうか。
・彼は羞恥心が強く、なかなか本心を見せてくれない。
・注目の的になっているとは知らず、周囲を見回して羞恥を覚えた。
羞恥心と類似した意味で使われる言葉
「羞恥心」と似た意味で使われる言葉としては、次のものが挙げられます。
それぞれの意味やニュアンスの違いについて解説します。
恥じらい
「恥じらい」とは、恥ずかしがることです。「羞じらい」と表記することもあります。
・日本人同士での英会話には、少々恥じらいを感じる。
・年齢を重ねるうちに、恥じらいがなくなってきた。
なお、「恥ずかしがる」の「がる」は、形容詞・形容動詞の語幹や名詞について、「そのように振る舞う」や「そのようなふりをする」の意味を示します。「恥ずかしがる」以外にも、「得意がる」や「偉がる」のように使います。
・彼女は全校模試で1位をとったことを得意がった。
・偉がっているような素振りを見せるが、彼の本質は大変謙虚だ。
また、同じく形容詞・形容動詞の語幹や名詞に「がる」をつけて、「そのように思う」や「そう感じる」の意味を表すこともあります。
・猫が寒がっているようだから、エアコンをつけるほうがよいだろう。
・彼にプレゼントを渡したら、「どうして欲しいものを知っていたの?」と不思議がっていた。
照れ
「照れ」とは、照れることです。また、「照れる」とは、気恥ずかしく感じることや、恥ずかしそうな態度や表情をすることを意味します。
・毎日舞台に立つことで演技そのものは改善されているが、まだ照れがあるようだ。
・あまり褒められると照れてしまいます。
・彼との関係を冷やかされて、照れていた。
含羞
「含羞(がんしゅう)」とは、恥ずかしいと思う気持ちやはにかみ、恥じらいのことです。
・彼女は頬に含羞の色を浮かべた。
・いつも堂々としている彼だが、なぜか今日は含羞を見せている。どうしたのだろう。
羞恥心は「ある」や「ない」「強い」をつなげて使うことが多いようですが、含羞は「浮かべる」や「見せる」といった言葉をつなげるケースが見られます。
はにかみ
「はにかみ」とは、はにかむことやはにかんだ様子です。また、「はにかむ」とは、恥ずかしがることや恥ずかしそうな表情をすることです。
・いつもはにかんでばかりの彼女は、今日も目が合うだけで恥ずかしそうにしていた。
・彼は間違いに気づき、はにかんで頬を赤らめた。
すぐにはにかむ人や恥ずかしがり屋のことを「はにかみ屋」と呼ぶこともあります。
・私の祖母ははにかみ屋だ。
・はにかみ屋の弟が「生徒会長に立候補する」といったときには、本当に驚いた。
恥、恥ずかしい
「恥(はじ)」とは、 恥じることや自分の欠点・失敗などを恥ずかしく思うことです。
・恥を忍んでお願いいたします。
・この問題を解けないのは、私にとって恥以外の何ものでもない。
また、それによって名誉や面目が損なわれる行為・事柄も「恥」と表現します。
・恥の多い生涯を送って来ました。(太宰治「人間失格」)
・生き恥をさらすくらいなら、誰も知らない人ばかりの土地に引越しをしたい。
羞恥心について知っておきたいこと
羞恥心は、誰もが多かれ少なかれ持っている感情です。そのため、何かに対して「恥ずかしい」と感じるのは特別なことではありません。また、人によって「恥ずかしい」と感じるポイントが異なるという事実も、理解しておくことが必要です。
相手の恥ずかしい気持ち・自分の恥ずかしい気持ちを理解することで、人との関係を良好に構築できるようになります。羞恥心という言葉への理解を深めるためにも、知っておきたいことを2つご紹介します。
羞恥心に配慮した看護・介護
看護や介護は、単にサポートを必要としている人にサポートを与える行為ではなく、「苦痛を緩和すること」を目的とした行為でもあります。適切なケアによって身体的な苦痛を緩和することはもちろんのこと、可能な限り、精神的な苦痛を緩和することを目指さなくてはいけません。
看護や介護を受ける側は、医療従事者に身体を見られることや、排泄や入浴という極めてプライベートな行為を見られることで、羞恥心を覚えて精神的な苦痛を感じることがあります。
また、医療従事者に対してはあまり羞恥心を感じない場合でも、周囲の人々に処置の様子や、車いすなどの補助道具を使っている様子を見られることで羞恥心を感じるケースも少なくありません。「身体的に衰えていることを知られたくない」との思いから、医療従事者に対しても心を閉ざしてしまうことがあるようです。
看護や介護を提供するときは、相手の羞恥心に配慮してサポートするように心がけましょう。プライバシーに関わることを大声で話さない、ケアの様子を周囲に見せない、大人に対して幼児に話すような言葉を使わないなどのポイントを意識することが必要です。
共感性羞恥心
共感性羞恥心とは、他人の行為を見て恥ずかしいと思う気持ちのことです。自分が失敗したわけではないのに、他人が失敗したのを見て、いたたまれない感情になることなどを指します。
共感性羞恥心は、知り合いや家族などの「身内」に対して強く感じる傾向がありますが、まったくの他人であっても感じることがあるようです。
自分だけでなく他人の羞恥心も尊重しよう
恥ずかしいと思うことをされ、あるいはいわれて、「嬉しい」と感じる人はあまりいないと思われます。自分だけでなく他人の羞恥心も尊重し、相手が恥ずかしさを感じないように配慮した言葉がけや行動を心がけていきましょう。
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