「一日千秋」の意味や由来を理解しよう
「一日千秋」は、1日の長さが1000年にも思えるほど待ち遠しいことがあるときに使います。中国の詩経に由来する言葉で、会えない相手を待ち焦がれる恋心を謳った詩歌の中で使われています。
「一日千秋」で秋という漢字が使われているのは、農耕のタイミングが関係しています。ここでは、一日千秋の意味や由来、なぜ季節が秋なのかという理由について解説します。
一日千秋の意味は「1日が長く感じられること」
【一日千秋:いちにちせんしゅう】
《「秋」は年の意》
1日が非常に長く感じられること。待ちこがれる気持ちが著しく強いこと。一日三秋。いちじつせんしゅう。「―の思い」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「一日千秋」は長く待ちわびるという意味をもつ言葉です。楽しみにしていることがあって1日が長く感じられるときや、「早く楽しみな日になってほしい」と待ち焦がれているときなどに使います。
一般的な読み方は「いちじつせんしゅう」ですが、辞書によっては「いちにちせんしゅう」と紹介されていることがあります。「いちじつ」も「いちにち」も間違いではなく、どちらを使っても問題ありません。
一日千秋は「一日三秋」に由来する言葉
一日千秋の語源は、中国の詩経の「王風(おうふう)・采葛(さいかつ)」で使われた一日三秋(いちじつさんしゅう)です。これは恋心を詠んだ詩歌で、「たった1日顔を見ないだけで、季節が3週して3年が経過したような気持ちである」ということを表します。
一日千秋は、一日三秋の「三」を「千」に変えることで、さらに意味を強調した言葉です。
一日千秋に「秋」が使われる理由
一日千秋に春ではなく秋が使われる理由には、農耕の収穫のタイミングが関係しています。古来の中国において、稲穂が実る秋は収穫の時期とされており、その収穫期を1年の区切りと捉えていました。
人々が生活をするうえで食は欠かせないものであるため、古来の人々にとって収穫期は大切な時期だったといえます。そんな重要なシーズンが重なる秋を1年の基準と考え、「時間」という意味を併せ持つ言葉として使っていたとされています。
このように、昔の人々にとって秋は生活サイクルの基点であったことが、時間の経過を意味する一日千秋に秋が使われている理由です。
一日千秋の主な使い方2つ
一日千秋の使い方は、主に以下の2つです。
1.一日千秋の思い
2.一日千秋に感じる
「の思い」や「に感じる」を後ろにつける使い方が多いですが、一日千秋だけで使うこともできます。例えば、「プロジェクトが始動するまで一日千秋だった」「まさに一日千秋。彼に会える日を待ちわびている」などの例文が挙げられます。
一日千秋の使い方を覚えておくと、何かを待ち遠しく思う気持ちをわかりやすく伝えられるでしょう。ここでは、一日千秋の主な使い方をご紹介します。
1.一日千秋の思い
ずっと会いたいと思っていた人に会えることや、物事が成就することを待ち望んでいると伝えたいときは、「一日千秋の思い」という表現が適切です。文の始めや終わりに置くことで、強く待ちわびていることを表現できます。
具体的な例文は以下を参考にしてください。
・次に彼女に会える日を一日千秋の思いで待ち続けています。
・一日千秋の思いで、彼の帰国を待っていました。
・好きな人に告白をして、返事を一日千秋の思いで待ちあぐねている。