「痘痕も靨」は好きになった相手なら欠点もプラスに見えること
「痘痕も靨」とは好きになった相手なら、欠点もプラスに見えることです。読み方は「あばたもえくぼ」。辞書では以下のように解説されています。
【痘痕も靨】
恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見える。ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見えるということのたとえ。
「痘痕も靨」の「痘痕(あばた)」とは、皮膚病に感染したあとに残る皮膚のくぼみのことです。本来であれば醜く見えるものですが、惚れた側から見ればそんな欠点も靨に見えてしまうほど入れ込んでいる状態を例えています。
悪い意味ではなく、良い意味で使われることが多い言葉です。
「痘痕も靨」の由来は病気が関係している
「痘痕も靨」の由来は、病気が関係しています。先程「痘痕」は、皮膚病に感染した後に残る皮膚のくぼみといいました。その皮膚のくぼみを作るのは、世界的に流行していた「天然痘」という病気です。
昔の女性は、顔に傷を作ってはいけないとされており、「痘痕」ができることは深刻なコンプレックスになりました。それでも、そんな欠点も惚れた側にとっては、かわいらしいえくぼのようにしか見えないほど魅力的にうつることから、「痘痕も靨」は生まれました。
「痘痕も靨」が、最初に使われた文献などはわかっていません。しかし、江戸時代の文学作品には既に使われていました。
「痘痕も靨」の使い方と例文
「痘痕も靨」は、好きな人の欠点さえかわいく見えるときに使うのがベストです。欠点が見えたとしても、相手が愛おしいと思ったときに使ってみましょう。以下の例文を参考にしてみてください。
【例文】
・彼女は料理が苦手だが、そんな姿も【痘痕も靨】だ。
・彼のだらしないところも、彼女にとっては【痘痕も靨】でおおらかに見えるらしい。
・結婚したときは【痘痕も靨】だった。10年一緒に住むとそんな気持ちも消える。
「痘痕も靨」の類義語3つ
「痘痕も靨」は、3つの類義語があります。
1.好きになった人は美人に見える「面々の楊貴妃」
2.好きな人の屋根に止まっている鳥までかわいく見える「屋烏の愛」
3.誰かに恋をすると周りが見えなくなる「恋は盲目」
それぞれニュアンスの違いがあります。どのように違うのか理解しながら、使い分けていきましょう。以下で解説していきます。
【類義語1】面々の楊貴妃(めんめんのようきひ)
好きになった人は美人に見える、という意味がある「面々の楊貴妃」です。読み方は「めんめんのようきひ」。辞書では、下のように解説されています。
【面々の楊貴妃】
各人はそれぞれ自分の妻を、中国の楊貴妃のような美人であると思っていること。人それぞれ好みがあり、好きになると欠点も隠れて美しく見えることのたとえ。
「面々の楊貴妃」は、恋人や妻に対して使われる言葉です。対して「痘痕も靨」は恋愛関係でなくても使えます。立場の違いを理解した上で、使い分けてみましょう。
【例文】
・僕の恋人は、【面々の楊貴妃】である。
・好きな人の欠点すら愛せるという【面々の楊貴妃】は、私には理解できない。
【類義語2】屋烏の愛(おくうのあい)
「屋烏の愛」は、好きな人の屋根にとまっている烏までかわいく見えるという意味があります。読み方は「おくうのあい」です。辞書では、以下のように解説されています。
【屋烏の愛】
人を深く愛すると、その家の屋根にとまっている烏にまで愛がおよぶようになるということ。愛情の深いことのたとえ。
「屋烏の愛」は、好きな人だけではなく関係するものまでが愛おしく思えてくる様子を表しています。「痘痕も靨」は欠点も愛おしく見えるという意味ですが、「屋烏の愛」は全てが愛おしいことを表します。以下の例文を参考にしてみてください。
【例文】
恋をしてから彼は、彼女に【屋烏の愛】状態である。
【類義語3】恋は盲目(こいはもうもく)
誰かに恋をすると周りが見えなくなる意味がある「恋は盲目」も、類義語の1つです。読み方は「こいはもうもく」。辞書でも同様に解説されています。
【恋は盲目】
恋におちると、理性や常識を失ってしまうということ。
「恋は盲目」とは、理性や常識を失い、人の欠点も見えなくなるぐらい夢中になる様子を表します。仲間の忠告も聞けない状態になるため、ネガティブな意味で使われることが多いです。以下の例文を参考に、使ってみましょう。
〈例文〉
・【恋は盲目】というが、彼女は本当に彼のギャンブル癖のことを知らないのだろうか。
・彼は誰かを好きになると、【恋は盲目】になりやすい。
「痘痕も靨」の対義語2つ
「痘痕も靨」の対義語は、2つあります。
1.嫌いな人の言動は全てが悪く見える「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
2.親のことが憎いとその子どもも憎くなる「親が憎けりゃ子も憎い」
対義語を知っていると、逆の状況になったときでも正しい言葉を使えます。以下を参考に、すぐに使えるよう知識として覚えておきましょう。それぞれ解説します。
【対義語1】坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
嫌いな人の言動は、全てが悪く見える意味がある「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は「痘痕も靨」の対義語です。読み方は「ぼうずにくけりゃけさまでにくい」です。辞書でも同様に、解説されています。
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】
その人を憎むあまり、その人に関係のあるものすべてが憎くなるというたとえ。
(引用すべて〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
あまりにも嫌いで、本人だけではなく関係するもの全てが憎いときに使います。袈裟とは、僧侶が身につける衣装のことです。坊主が憎いは、江戸時代に僧侶が汚職していたことに由来しています。
以下の例文を参考に、使ってみましょう。
【例文】
いつも悪口を言ってくるAの妹までもが憎い。これが【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】ということか。
【類義語2】親が憎けりゃ子も憎い(おやがにくけりゃこもにくい)
親のことが憎いとその子どもも憎くなるという意味がある「親が憎けりゃ子も憎い」も対義語です。読み方は「おやがにくけりゃこもにくい」。親のことが嫌いだと、罪もない子どもまで憎く見えてしまう例えを表しています。
相手の欠点さえもよく見えてしまう「痘痕も靨」に対して、憎むべき対象ではない子どもも悪く見えてしまう「親が憎けりゃ子も憎い」は、まったく正反対の対義語と言えるでしょう。使うときは、以下の例文を参考にしてみてください。
【例文】
Bくんママは、性格が悪い。息子であるBくんまで嫌いになりそうだ。まさに【親が憎けりゃ子も憎い】だな。
まとめ
「痘痕も靨」は、好きな相手なら欠点もプラスに見えるという意味があります。由来は、皮膚病の醜い跡でも、好きな人であれば可愛く見えることです。恋愛関係でよく使われ、ポジティブな意味合いで使われます。
ニュアンスの違いを表現したい場合は、類義語も使ってみましょう。逆の状態を表現したい場合は、対義語を参考にしてみてください。好きな人に入れ込みすぎて、「痘痕も靨」にならないように気をつけましょう。
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