「塵も積もれば山となる」の意味と由来
塵も積もれば山となるは、日常会話でもよく使われることわざの1つです。
最近では、節約やダイエットなどで「チリツモ貯金術」や「チリツモダイエット法」など、“チリツモ”と略して使うことも多く、よく耳にする言葉の1つといえるでしょう。ここでは、塵も積もれば山となるの意味や由来を解説します。
■小さいものでも積み重ねれば大きくなるという意味
塵も積もれば山となるは、どんな小さなことでも、積み重なれば大きくなるという意味のことわざです。取るに足らないと思うような小さなことでも、積み重なると大きな影響を与えることをあらわします。人生のさまざまな局面に当てはまるため、教訓として用いられます。
■由来はインド仏教
塵も積もれば山となるの由来は、インドの仏教書「大智度論(だいちどろん)」にある、「譬如積微塵成山、難可得移動」という文章です。
この文章は、直訳すると「微塵も積もり積もれば、山となり動かせなくなる」となります。しかし、「わずかな怒りや欲望でも、積み重なると魂が救われにくくなる」という意味で書かれていたとされており、もともとはネガティブな戒めの意味がありました。
なお、ここでの「塵」は些細なことや小さなことという意味であり、ゴミやほこりではないことに注意しましょう。
■塵に当てはめるものでニュアンスが変わる
塵も積もれば山となるの特徴は、「塵」に当てはめるもの次第で意味が変わる点です。たとえば塵に努力を当てはめ、毎日コツコツと小さな努力を重ねることで大きな目標を達成するという意味で使えば、ポジティブな教訓になります。
しかし、怠慢や油断を当てはめた場合、些細な怠慢や油断が大きな損失を招くという意味になり、ネガティブな戒めとなるのです。
「塵も積もれば山となる」の使い方
塵も積もれば山となるは、小さな努力や習慣を続けると大きな成果になるという教訓として使われることが多いものの、塵に当てはめるものによっては戒めにもなります。状況に応じて、どちらの意味でも使いこなせるようにしましょう。