母が認知症になるまで「ママがいれば大丈夫」と心のどこかで思いながら生きてきた
────Domaniの読者は30〜40代が多く、仕事や子育てに多忙を極めてる女性が多いです。ただ、話を聞いていると、「親の白髪が増えていた」「歩き方もおばあちゃんになっていた」など、目に見えて老いている親に気付き、ドキッとする人も多いです。
気付いても「見なかったことにしよう」としたくなるのが親の老い。私自身もそうでした。子どもたちに手がかかる時期が過ぎ、冷静になって親を見ると、見た目だけでなく、感情のコントロールをしにくくなるなど、明らかに老いているのです。 人生100年時代と言われているけれど、誰の手も借りずに自立した生活ができる健康寿命(※)は75歳くらいだと思っておくといいかもしれません。そう考えると、私たちが「子ども」として、親と過ごせる時間は意外と少ない。そんなことを意識するうちに介護は始まり、親をケアする頻度が増えていきます。ですから「親はずっと若くないし、強くもない」ということを頭の片隅に置いておくといいかもしれません。
※健康寿命……WHOが提唱した新しい指標で、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を差し引いた期間(厚生労働省『健康用語辞典』)
────親が自分で自分のことができなくなるなんて……想像もつきません。カータンさんの最新エッセイ『お母さんは認知症、お父さんは老人ホーム 介護ど真ん中!親のトリセツ』はそんな私たちに、老いた親との日々を笑いあり、涙ありのエピソードで伝えてくれています。
例えば、介護施設に入居した後、自宅に帰りたいと泣く父、排せつを失敗したパンツをトイレに放置する母……どのシーンも軽妙かつしみじみと描かれており、作中でのカータンさんはご両親の老いを受け止めているようにも感じます。
ブログやマンガにするときは、客観視していますが、最初に現場に出くわした時は、ショックを受けますし、感情も波立ちます。私自身も、親の老いを受け入れるまでに、かなりの時間がかかりました。
最新刊では、介護の日々を綴っていますが、実際に苦しかったのは「介護未満」の日々。
認知症を発症してからの母は物忘れが激しくなり、「私、知らない。聞いていない」が口癖になり、やがて私の飼い犬の存在さえ忘れるようにもなっていました。そんな実家からの帰り道、「なんで私のお母さんなの?」とか「次にあったときは元に戻っているんじゃないか」と泣いたこともありました。
なんだかんだ言って、親は頼れる存在です。特に母は心の支えというか、「この人がいれば、大丈夫」という安全なシェルターのようなところがありました。母のありがたさが身に染みたのは、2011年の東日本大震災のとき。14時46分に震災が起こった当日、私は外出していました。当時長女は小学校、次女は幼稚園にいて、安否が心配でたまらなかった。そんなとき、私がすぐに連絡をしたのは夫ではなく母でした。子どもたちの迎えを頼むと、二つ返事で「いいよ」と言い、私が帰るまで子どもたちを見守ってくれていたのです。
母に日々のグチや子育ての悩みなどを言うと、いろんなことをよくわかってくれて、私の絶対的な味方になってくれていました。私は、母が認知症になるまで「ママがいれば大丈夫」と心のどこかで思いながら50年以上生きてきたのです。
子育てを通じて、私の幼い日を思い出すと、常に母は私や姉のことを優先し、「これ食べなさい」「あれもやっておいたから」と陰に日向に動いてくれていました。母はいつまでも元気で明るいと思っていたのに、幕が降ろされていったのです。