自分に使うと横柄な印象になるので注意
自分に対して使うと、相手に不快な印象を与えてしまう可能性があるため注意しましょう。なぜなら、自分が「知識がある人」「その道の達人」であると言っているのと同じだからです。例文を挙げたような使い方は避けなければいけません。
【釈迦に説法のNG例文】
・私に投資の仕組みを教えるなんて【釈迦に説法】なことだ。
自分に対して使うことで、一気に印象が悪くなってしまいます。いつでも謙虚な姿勢は心掛けたいところです。
ビジネスシーンでも使える「釈迦に説法」例文紹介!
上で紹介した4つのポイントを意識しながら、釈迦に説法を使った例文を確認してみましょう。
・そんな発言をするなんて、【釈迦に説法】の態度を改めなさい。
・【釈迦に説法】ではありますが、この計画は見直す必要があると感じます。
・大変申し訳ございませんでした、【釈迦に説法】な発言をどうかお許しください。
・彼が法学部出身とは知らず、危うく【釈迦に説法】をしでかすところだった。
特にビジネスシーンでも活躍する「釈迦に説法」の使い方をマスターして、表現力をアップさせましょう。
「釈迦に説法」の類義語や言い換え表現
「釈迦に説法」は十分な知識がある人に得意げになって教えることを意味しますが、似たような言葉として3つが挙げられます。どれもその道のエキスパートに教えを説く愚かさが表現されている言葉です。どれもその事柄についてよく知り尽くしている相手に教えを説く、愚かでムダな行為を意味します。
「猿に木登り」:木登りの名人である猿に木登りを教える
猿は木の上で過ごす時間も多く、何より本能的に木登りの仕方を知っているため、猿に木登りを教える必要はありません。
「河童に水練」:水の中に住む河童に泳ぎを教える
「猿に木登り」とほぼ同様の意味を持っているのが、水かきを持ち水中で生活するとされる河童に、泳ぎを教える愚かさを表現した「河童に水練」です。
「孔子に論語」:孔子が執筆した論語について本人に教えを説く
孔子は儒教の開祖として、紀元前の中国で活躍した思想家です。仁(人間愛)や道徳についてまとめた論語は、彼が残した作品です。「孔子に論語」とは、論語の教えを執筆した本人である孔子に教える行為を指す言葉で、「釈迦に説法」の言い換えとしても使われます。また、孔子に論語は「孔子(こうし)に悟道(ごどう)」ともいわれます。
【悟道】ごどう
仏語。仏道の真理を悟ること。悟りを開いて道理を会得すること。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「釈迦に説法」の対義語
一方で相対する意味を持っている言葉は、「愚か者に素晴らしいものを与えても意味がないこと」を表す言葉になります。価値を理解できない相手に、どんなに教えを説いたり素晴らしい品を与えても意味がないことを表します。
「牛に対して琴を弾ず」:牛にどんなに美しい琴の音を聞かせても意味がない
「牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず)」は志の低い者や愚かな者に高尚な道理を説いてもわからないことのたとえ。中国の、魯 (ろ) の公明儀が牛の前で琴を弾じ、名曲を聞かせたが、牛は知らぬ顔で草を食っていたという「祖庭事苑」にある故事が由来です。釈迦に説法は知り尽くしている人にそのことを説くことのたとえですから、言ってもわからない人に対して説くという点で対義語と言えます。
「馬の耳に念仏」:馬に念仏を聞かせても意味がない、人が忠告しても聞く耳を持たない
「馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)」は馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である。いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ。「釈迦に説法」とは、「自分と比べてより詳しく深い知識を持っている人」対して使われる言葉ですから、「聞かせても意味がない相手」に仕様する「馬の耳に念仏」は対義語と言えるでしょう。また、「馬の耳に風」や「馬耳東風」も同じ意味で使われる言葉です。
「豚に真珠」:価値を理解できない者に高価なものを与えても意味がない
「豚に真珠(ぶたにしんじゅ)」は、貴重なものも、価値のわからない者には無意味であることのたとえです。新約聖書の「マタイ伝」第7章に由来する西洋のことわざで、「猫に小判」と同じ意味で使うことができる言葉です。豚に真珠は「価値のわからない者」に対して使われる言葉ですから、価値を知り尽くしているであろう人に使われる「釈迦に説法」とは対義語と言っても差し支えないでしょう。
「弘法も筆の誤り」:プロでも時には失敗することがある
また「弘法も筆の誤り(こうぼうもふでのあやまり)」も釈迦に説法の対義語として挙げられることがあります。「釈迦に説法」における知識人は、完璧で隙がありませんが、「弘法も筆の誤り」は「プロでも時には失敗することがある」という点で対義語といえるでしょう。「弘法も筆の誤り」のたとえを踏まえれば、「釈迦に説法」でもそこになにか新しい学びがあるとも考えられます。
「釈迦に説法」を上手く使って一目置かれる存在に
「釈迦に説法」は、自分より知識のある人に、そうとは知らずに教える愚かさを表現した言葉です。比較的使いやすい言葉ですが、使い方を間違えると相手に不快感を与えてしまう可能性があります。
ビジネスシーンで進言する際や謝罪の際に、「釈迦に説法」を自然と使いこなせれば、相手に与える印象もグッと良くなるはずです。大人のたしなみとして、使い方のポイントを押さえておきましょう。
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