忙しい生活の中で、仕事やプライベートで行き詰まりを感じたことはありませんか? そんなときに、この言葉の意味を知ることで、新しい視点を得るきっかけになるかもしれませんよ。本記事では、「万事休す」の意味や、その背景にある中国の歴史、対義語や類語まで解説します。「もはや打つ手がない!」と追い詰められた時のヒントがあるかもしれません。
「万事休す」の意味や由来とは?
まずは、「万事休す」の意味を見ていきましょう。
意味
「万事休す」は、「ばんじきゅうす」と読みます。意味は以下の通りです。
もはや施す手段がなく、万策尽きる。もはやおしまいで、何をしてもだめだという場合に使う。『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
「万事」は、「すべてのこと」。「休す」は、「おしまいになる」という意味です。思いつくことはすべてやったが無理だった、今更何をしても仕方ないというような、諦めの気持ちや絶望的な状況を表すことわざです。ちなみに「万事窮す」と書くのは誤りなので、注意しましょう。
由来
「万事休す」は、中国の歴史書『宋史』の荊南高氏世家に由来があります。昔、荊南(けいなん)という国に保勛という王子がいました。彼は王に溺愛されて育ち、人から怒られても睨まれても微笑み続けるような人でした。そんな姿に人々は呆れて、「万事休すだ」と言ったのです。保勛が王になったあと、世の中は乱れ、国は滅んでしまったといいます。
ことわざ「人間万事塞翁が馬」とは?
「万事休す」とは、すべてのことが終わる、もはや打つ手がないという意味。例えば、プロジェクトが失敗したり、予定が全く進まないときなど、まさに「万事休す」の状況ですね。
一方で「人間万事塞翁が馬」は、いいことが必ずしもいい結果をもたらさないし、悪いことが起きても決して悪いことばかりではないという教訓を含んでいます。このように、視点を変えることで「万事休す」の状況を、「新たなチャンス!」と捉えることができるでしょう。
使い方を例文でチェック!
「万事休す」は、良い策が尽きて追い詰められた場面で使う言葉です。「万事は休す」という言い方をすることもあります。さっそく使い方をみていきましょう。
後半戦で3ポイントも取られてしまった。万事休すだ。
「万事休す」は、絶体絶命の危機的な状況で使われる言葉です。例文でいうと、残り時間が残されていない中で、相手に大差をつけられてしまい勝ち目がないというような状況です。これ以上打つ手がなく、追い詰められた心境が伝わってくる表現ですね。
環境問題にはまだ解決策があるはずだ。万事休すと諦めてしまうのはまだ早い。
「万事休す」は、良い策が思いつかず諦めてしまっている状態のことです。そのため「まだ希望を捨てるのは早い」というニュアンスで使うこともできます。諦めている人に働きかける言葉の一つとして覚えてみてくださいね。
最終電車を逃してしまったのでもう間に合わない。万事は休してしまった。
「万事休す」は、例文のように「万事」と「休す」の間に、助詞を入れて使うこともできます。電車の時刻のように、自分の力ではどうすることもできないことに対して「万事休す」は使われることが多い表現です。