「二階から目薬」とは遠回しすぎて効果がないこと
「二階から目薬」は映像的なイメージが浮かぶことわざです。
【二階から目薬:にかいからめぐすり】2階にいて、階下の人に目薬を差すこと。もどかしいこと、また遠回しすぎて効果がないことのたとえ。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「二階から目薬」ということわざはもどかしいこと、遠回しすぎて効果がないことを表すことわざですが、間違った解釈をされることも少なくありません。よくあるのは二階から目薬をさして目の中に命中するくらい確率が低いという解釈ですが、これは誤りです。
もどかしいこと、効果がないことを表していることわざという解釈が正しいといえるでしょう。
「二階から目薬」の由来は江戸時代の浮世草子
「二階から目薬」は江戸時代中期の浮世草子「風流御膳義経記」に収録された句から生まれたことわざです。恋のもどかしさを「二階から目薬」という言葉にたとえました。
江戸時代の目薬は現在の目薬とは異なるものでした。軟膏状になった目薬に水を加えて液状にして竹筒に入れて目にさす使用方法だったため、現代の目薬よりもさしにくかったと推測されます。
「二階から目薬」というのは実際に二階からさしたということではなくて、誇張表現です。
もともとは「二階から目薬をさす」という表現が使われていました。江戸時代の後期に上方のいろはかるたとして収録されるにあたって、「二階から目薬」と短くしたものとなり、この表現が広まった経緯があります。
「天井から目薬」ということわざもある
「二階から目薬」と似た表現で、「天井から目薬」という言い方もあります。「二階から目薬」と同様に、まわりくどくて効果がないこと、じれったいという意味です。
「二階から目薬」が浮世草子「風流御膳義経記」から派生した語句であるのに対して、「天井から目薬」の語源は特にありません。二階も天井も家の中の高いところであるため、「二階から目薬」が変化してこのような言い回しになったと考えられるでしょう。
「二階から目薬」の使い方と例文
「二階から目薬」は効果がないという意味があるため、政治の施策やビジネスの戦略について論じる際によく登場する言葉です。
【例文】
・著名な経営コンサルタントのアドバイスに沿って新たな戦略を立てたが、【二階から目薬】のようなやり方なので、すぐに業績が向上することはないだろう。
・補助金をばらまくだけでは【二階から目薬】で、新たな産業が育つことは期待できないため、地方の活性化にはつながりません。
「二階から目薬」の類義語3つと対義語1つ
「二階から目薬」という言葉が浮世草子から生まれ、いろはかるたに収録されて広まったのは表現の仕方が的確だったから、そしておもしろかったからでしょう。現代風に表現するならば、「いいね!」という共感がたくさんあったから浸透したと推測されます。
ここでは表現の独自性が際立っている、「二階から目薬」の3つの類義語と1つの対義語について解説しましょう。
【類義語1】隔靴掻痒(かっかそうよう)
「隔靴掻痒」は思うようにならず、もどかしいという意味があります。読み方は「かっかそうよう」です。13世紀に書かれた中国の仏教書『無門関』の中の「棒を振って月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」という内容の一節が語源になっています。
月を棒で打とうとしても当たらない、足のかゆいところを靴の上からかいても、かゆさがおさまらないという意味です。
【例文】
・うちの息子は家にいるとゲームばかりをやっている。注意すると「わかった」と返事をして部屋の中にひきこもるので、【隔靴掻痒】の思いだ。
・残業時間を減らすために人事部で毎週水曜日にノー残業デーを設定したのですが、前後の火曜と木曜の残業が増えてしまって、【隔靴掻痒】です。
【類義語2】御簾を隔てて高座を覗く(みすをへだててこうざをのぞく)
「御簾を隔てて高座を覗く」は思いのままにならず、もどかしいという意味です。御簾は「みす」と読みます。御簾とは竹でできたすだれ状のもので、大名や公家など、身分の高い人に謁見する際に、姿を見せないまま会話するために、天井から下げられていました。
御簾越しに高座にいる身分の高い人を見ようとしても、よく見えないということから、このことわざが生まれたとされています。
【例文】
・取引先の社長にどうしても伝えたいことがあるのですが、会っても全然話を聞いてくれず、まるで【御簾を隔てて高座を覗く】ような気分になります。
・町内会で地域の抱える問題について提案したのですが、誰も賛成してくれず、【御簾を隔てて高座を覗く】ようでした。
【類義語3】杯水車薪(はいすいしゃしん)
「杯水車薪」とはほんのわずかな努力や援助ではなんの役にも立たないという意味で、読み方は「はいすいしゃしん」です。『孟子』の「告子章句上」に載っている、「さかずきに一杯の水では、車一台分の燃えている薪を消すことはできない」という内容の文章から、この言葉が生まれました。
「焼け石に水」とほぼ同じような意味の言葉といえるでしょう。
【例文】
・国家試験に一夜漬けで勉強しても【杯水車薪】にしかなりません。
【対義語】麻姑掻痒(まこそうよう)
「麻姑掻痒」とはかゆいところをかいてとても気持ちがいいこと、つまり物事が行き届いていることのたとえで、読み方は「まこそうよう」です。「麻姑痒きを掻く」という表現をすることもあります。
中国・漢の時代の「神仙伝」という故事が語源です。麻姑という名前の仙女にかゆいところをかいてもらうのはとても気持ちの良いことだという逸話から生まれた言葉で、背中をかく時に使われる孫の手の孫は麻姑から来ています。
【例文】
・新入社員のS君は細かいところまでよく気がつくタイプで、一緒に仕事をしていると【麻姑掻痒】でした。
まとめ
「二階から目薬」はもどかしいこと、遠回しすぎて効果がないことという意味のことわざです。もともと江戸時代中期の浮世草子がもとになっており、江戸時代後期になって、いろはかるたに使われて、さらに広まりました。
政治の施策、ビジネスにおける戦略が効果的でない場合にも、この言葉が使われます。イメージのわきやすい言葉なので、意味を知って適切な場面で使ってください。
写真・イラスト/(C) Shutterstock.com
Domaniオンラインサロンへのご入会はこちら