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2023.04.12

「武士は食わねど高楊枝」とは? 言葉の由来や使い方、類語や英語表現を紹介【教員監修】

 

「武士は食わねど高楊枝」とは、現代では見栄を張ったり、やせ我慢したりすることのたとえとして使われます。当記事では言葉の意味や由来、使い方、類語や英語表現を紹介します。

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武士は食わねど高楊枝とは?

「武士は食わねど高楊枝」とは、「ぶしはくわねどたかようじ」と読みます。上方かるたや尾張かるたに登場するこの言葉。一度は耳にしたことがあるけれど、どのような意味なのかよくわからない人が多いのではないでしょうか。由来や使い方を見ていきます。

武士のイメージ画像 夕暮れのなか馬に乗ってかける武士のシルエット

言葉の由来

「高楊枝」とは、悠々と、食後の楊枝を使うことで、満腹の様子を表します。武士というものは、たとえ貧しい境遇にあってお腹が空いていたとしても、あたかもお腹がいっぱいのように楊枝を高々とくわえて見せておかなければいけない、といった武士の清貧さや高潔さを表すことに由来。武士のいない現代ではやせ我慢することのたとえとして使われます。

武士とは?

武士とはどういう人を指すのでしょうか。元々武士にあたる人々の身分は高くはありませんでした。武士と同じ意味で使われる「さむらい」も、主人に仕える「候う(さぶろう)」に由来しています。

武士の地位が向上したのは平安時代末期。貴族たちを警護した「さむらい」は大きな勢力をつけながら地方へ進出しました。そして、鎌倉・室町時代には征夷大将軍が政治の実権を握るようになりました。その後、戦国時代には戦国大名として権力を増し、安土桃山時代から江戸時代にかけて武士が国を治める幕藩体制が確立されたのです。

江戸時代に入り、天下泰平の世の中になって戦いがなくなると、武士の役目は政治になりました。そのような支配層である武士が貧しいからといって惨めな様子を見せるわけにはいきません。たとえ貧しくて食事ができなくても、食べたふりをして楊枝を悠々と使い、ひもじさなど微塵も見せないというところから生まれた言葉です。

武士は食わねど高楊枝の使い方

この言葉の使い方を4つ紹介します。

1.  武士は食わねど高楊枝の気概を持って清貧に甘んじる
2. その金を借りたいのはやまやまだが、やめておく。武士は食わねど高楊枝だ
3. 武士は食わねど高楊枝で、彼女に高級腕時計をプレゼントした
4. ご時世柄で収入減の彼だが、新車を購入した。武士は食わねど高楊枝だ

1・2は気位の高さを表していますが、3・4は見栄っ張りでやせ我慢している様子を表しています。このように、武士は食わねど高楊枝という言葉は使い方によって、よくも悪くもとれる言葉です。

槇原敬之の「武士は食わねど高楊枝」

槇原敬之さんの歌に「武士は食わねど高楊枝」というタイトルの歌があります。

主人公の僕は仕事をなくしてしまい、妻も出て行ってしまった。洗濯物が乾くまで、自分のためにとってあったパンを子供に食べさせていると、不覚にもお腹が鳴ってしまった。それをごまかすために、でたらめな歌を歌ったらびっくりした子供が笑い出す。その顔を見て僕も笑った。という内容の歌です。

この歌に込められた「武士は食わねど高楊枝」の意味は、父親としての気位の高さも感じられるし、やせ我慢しているともとれます。しかし、ここでのやせ我慢は大切な子供のためにする我慢。それが「優しい響き」という表現になっているのかもしれません。

武士は食わねど高楊枝の類義語や対義語

武士は食わねど高楊枝の類義語や対義語にはどんなものがあるのか、見ていきます。

寒がる人、暖かそうな人のイメージイラスト

武士は食わねど高楊枝の類義語

・鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえてもほをつまず)
意味:節操のある心の正しい人は、どんなに貧しくなっても不正な金品を受け取るような道義にはずれたことはしない、ということ。

気位の高い鷹はどんなに飢えても、人間の作った稲穂を食べるようなことは決してしない、という意味から生まれた言葉です。

・渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
意味:どんなに困ったときでも、決して不正なことには手を出さない、ということ。

盗泉という泉のそばを通りかかった孔子が、のどがからからに渇いていたのに「盗泉」の名を嫌ってその水を飲まなかったという故事があります。『文選』には次のような表記があります。
「渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれども悪木の陰に息(いこ)わず」

のどが渇いていたとしても、「盗泉」という名前のついた泉の水は飲まず、暑くても「悪木」という名前のついた木の陰では休息しない、という意味です。「悪木盗泉(あくぼくとうせん)」という四字熟語にもなっています。

・伊達の薄着(だてのうすぎ)
意味:厚着は格好が悪いからと寒さを我慢して薄着をすること。

やせ我慢をする、という意味ではこちらも類義語となります。「伊達」は粋(いき)に見せようとして見栄を張ることです。江戸時代、伊達政宗の一門が華美に服装を飾ったことから生まれた言葉といわれています。「伊達の素足」ともいわれます。

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