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2023.02.02

【斑鳩】←なんと読む?読み方から意味、関連する豆知識をまとめてご紹介

 

斑鳩(いかる、いかるが)とは鳥の名前を語源とする言葉で、主に奈良県生駒郡にある地名や寺名として用いられています。実際にどのように使われているのか、また、関連する豆知識についてご紹介します。

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斑鳩(いかる)とは鳥の名前

斑鳩(いかる、いかるが)は、もともとは鳥の名前です。鳥の名前として斑鳩と記載するときは、「いかる」と発音することが一般的とされています。

イカル 横から見た様子

【斑鳩】いかるが
・奈良県北西部、生駒郡の地名。かつてイカルが群居していたという。法隆寺・中宮寺・法輪寺などがあり、仏教の中心地であった。
・イカルの別名。 夏「豆粟に来て―や隣畑/青々」

(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)

「斑鳩」は黄色いくちばしが特徴の鳥で、体長は23cmくらいです。体全体は灰色ですが、頭頂部は青みがかった黒色で、見た目にもカラフルな色合いが特徴です。北海道や本州、四国、九州と広い地域で見られ、主に平地や山麓で生活しています。

■鳴き声が特徴的

斑鳩は、鳴き声が特徴的な鳥です。「キーコーキー」とよく通る声で鳴いたり、「キョッキョッ」と鋭い声で鳴いたりします。冬場になると数百羽で群れを成すこともあるため、より鳴き声がにぎやかに聞こえることもあります。

■古来より日本にいたとされる

斑鳩は古来より日本にいたとされ、大和時代に栄えた法隆寺などの一帯も、鳥の斑鳩の名前を由来として「斑鳩(いかるが)の里」と呼ばれることがあります。

しかし、斑鳩という鳥が古来より奈良に生息していたことや、「いかる」や「いかるが」と呼ばれていたことは事実であっても、現在の斑鳩と同じ鳥だったのかは分かっていません。

もしかしたら違う鳥が「いかる」や「いかるが」と呼ばれ、法隆寺一帯の空に飛んでいたのかもしれません。

斑鳩(いかるが)とは地名・寺名

斑鳩(いかる、いかるが)は日本各地に生息する鳥ですが、一般的には斑鳩といえば、地名や寺名を指すことが多いです。

斑鳩町の寺や三重塔が見える風景

例えば、奈良県生駒郡には斑鳩町(いかるがちょう)という町がありますが、この地方一帯を斑鳩(いかるが)と呼ぶのは、鳥の斑鳩(いかる、いかるが)が昔から多く生息したことに由来するといわれています。

■斑鳩町(いかるがちょう)

奈良県生駒郡斑鳩町は、奈良盆地の北西部にある自然豊かな町です。大和川や富雄川、竜田川が流れ、水と緑が美しい景色を織り成しています。

斑鳩町には、世界文化遺産である法隆寺や6世紀後半に築造されたと推定される藤ノ木古墳などの文化財が多数あります。なお、藤ノ木古墳は直径50mほどの円墳ですが、朱塗りの石棺や金銅製の馬具など、豪華絢爛な財物が出土したことで大きな注目を集めました。

高貴な人物が埋葬された場所と考えられていますが、現在のところ被葬者は正確には分かっていません。

斑鳩宮から始まった町

斑鳩町の歴史は古く、聖徳太子が飛鳥から斑鳩宮(いかるがのみや)に移ってきたことから脚光を浴びるようになったとされています。その後、法隆寺などが建てられると斑鳩は聖徳太子信仰の中心地となり、門前町や宿場町としても栄えます。

なお、現在の斑鳩町の形になったのは、1947年の龍田町と法隆寺村、富郷村の合併以降です。JRでは大阪まで約40分、奈良市内まで約12分とアクセスもよく、現在も多くの人々が国内だけでなく世界中から訪れます。

町のマスコット「パゴちゃん」

斑鳩町には、「パゴちゃん」という名前のマスコットキャラクターがいます。柿のヘタ部分を脚に、柿の果実部分を顔と身体に見立て、大きく愛らしい目と口が特徴的なキャラクターです。頭頂部には仏塔(パゴダ)がついていることから、パゴちゃんという名前がつきました。

パゴちゃんは、斑鳩町のさまざまなイベントのお手伝いをしています。以前、NHK大阪でパゴちゃんの応援歌を作る企画が実施され、「斑鳩、いかが??」というイメージソングも誕生しました。

なお、パゴちゃんの顔と身体が柿なのは、正岡子規の有名な俳句「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」に由来しています。

柿を食べていたら、法隆寺の鐘が鳴った……というシンプルな意味ですが、味覚や視覚、聴覚に訴えるだけでなく、晩秋のもの悲しさも伝わる味わい深い句です。

■斑鳩寺(いかるがでら)

斑鳩寺(いかるがでら)は、兵庫県太子町にある寺です。聖徳太子が推古天皇に法華経などを講じられ、深く感動した天皇が播磨国の水田を褒美として太子に下賜されました。太子は水田を奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に寄進し、水田は法隆寺の荘園として発展します。

平安時代になると、荘園経営の中心地として斑鳩寺が建立され、その後は聖徳太子信仰の中心地として栄えるようになりました。

16世紀の半ばには数十の坊庵が並ぶ壮麗さを誇りましたが、不慮の火災により、多くの建物が消失します。その後、龍野城主などの寄進を得て、講堂や三重塔などの伽藍が復興され、現在の姿になりました。

斑鳩寺はその由来から、法隆寺の別院として存在してきましたが、江戸時代以降は天台宗の寺となり、法隆寺とは別個の寺院となりました。しかし、今なお近隣からは「お太子さん」と呼ばれ、聖徳太子信仰の寺として認識されています。

法隆寺の別名として使われることがある

法隆寺の別名として、斑鳩寺の名称を使うことがあります。なお、法隆寺は聖徳太子によって607年に創建された寺です。五重塔を中心とした西院伽藍(さいいんがらん)と、夢殿を中心とした東院伽藍(とういんがらん)に分かれています。

西院伽藍は世界最古の木造建築物群として知られ、多くの国宝や重要文化財などを所有していることでも著名です。

聖徳太子は605年から、東院の位置にあった斑鳩宮に移り住んだといわれています。現在でも法隆寺は大阪・奈良市内にアクセスしやすい場所ですが、聖徳太子の時代も交通の要所で、多くの人や物が行き交っていたようです。

悠久のロマンあふれる斑鳩の地に訪れてみよう

3羽のイカル

奈良県生駒郡斑鳩町は、現代でも大和の息づかいを感じることができるロマンあふれる場所です。法隆寺や藤ノ木古墳などの歴史的な建造物・遺産も多く、学びの場としても唯一無二の存在感を放っています。

まだ斑鳩の地を訪れたことがない方は、ぜひ法隆寺や奈良市内、少し足を延ばして太子町を巡る旅行の計画を立ててみてください。大和時代のゆったりとした空気が流れる景色を見れば、あっという間に1400年前へとタイムスリップできるでしょう。

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