「井の中の蛙大海を知らず」とは?意味をご紹介
「井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)」とは、限られた世界や知識にとらわれて、視野が狭いことを指す言葉です。「井の中の蛙(いのなかのかわず)」や「井蛙(せいあ)」と省略して使うこともあります。
【井の中の蛙大海を知らず】いのなかのかわずたいかいをしらず
自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを知らないで得々としているさまをいう。井蛙(せいあ)。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
■井の中の蛙大海を知らずの語源
「井の中の蛙大海を知らず」という言葉の語源は、中国の古典「荘子(そうじ)」のなかの「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」という文言です。
簡単にいえば「井戸の中にいるカエルとは海について語り合えないのは、カエルがくぼみにとらわれているからだ」という意味で、まったく知らないことを話されても理解できないことを指します。
■井の中の蛙大海を知らずの続き
荘子の文言をベースに、日本では「井の中の蛙大海を知らず」や「井の中の蛙」と、ことわざとして使っています。視野が狭くて物事を知らないときなど、日常会話にも使うことがあるため、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
また、「井の中の蛙大海を知らず」には、「されど空の青さを知る」あるいは「されど空の深さを知る」という続きがあります。狭い世界にいるからこそ、深い知識や知見を得られたことを意味します。
■井の中の蛙大海を知らずの例文
「井の中の蛙大海を知らず」は、日常生活のなかで使える言葉です。ただし、ことわざとしては長めのため、「井の中の蛙」や「井蛙(せいあ)」と短縮するほうが使い勝手がよくなります。
・勉強ばかりするのもよいけれども、それでは井の中の蛙になっちゃうよ。
・国際学会で各国の研究者たちの発表を聞き、自分が井の中の蛙だと思い知らされました。
・専門分野を学びに海外へ出たはいいものの、いかに自分が※井蛙の見であるかを実感した。
※井蛙の見(見識の狭さ)
■続きを踏まえるとポジティブに使える
「井の中の蛙大海を知らず」は、あまりポジティブな表現ではありません。視野が狭いことや物事を知らないことなどを指す言葉のため、自分のことについて述べるのは問題ありませんが、他人を指して「井の中の蛙大海を知らず」というのは失礼にあたるため、避けるほうがよいでしょう。
しかし、「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さ(深さ)を知る」と続きを踏まえるなら、特定の分野を突き詰めたことで得られる専門性や知見の深さを表現でき、ポジティブなことわざとして活用できます。たとえば、次のように使ってみてはいかがでしょうか。
A「素晴らしい発表でした。着眼点もユニークで、感銘を受けました」
B「ありがとうございます。しかし、井の中の蛙で、熱分解以外の分野については何も知らないんですよ」
A「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知るっていうじゃないですか。分野を極めたからこその素晴らしい研究だと思います」
「井の中の蛙」の類似する表現
「井の中の蛙」のように、視野の狭さを示す表現はいくつかあります。たとえば次の言葉は、「井の中の蛙」や「井の中の蛙大海を知らず」と類似した意味合いで使われることがあります。
それぞれの使い方やニュアンスの違いを、例文をとおして見ていきましょう。
■世間知らず
「世間知らず」とは、社会経験が乏しく、世の中の常識がわかっていないときに使われる言葉です。あまりよい意味では使いませんが、家族に守られて大切に育てられたといったニュアンスもあるため、使い方によっては失礼な意味合いが薄くなることもあります。
・さっきの先輩の言葉は嫌味だよ。真に受けるなんて、本当に世間知らずだなあ。
・彼は世間知らずなところがあるため、非常識なことをいわないか心配です。
・彼女は世間知らずのお嬢様だから、からかってはいけないよ。
視野が狭いという点では、「世間知らず」も「井の中の蛙」と同じです。しかし、「井の中の蛙」には「社会」や「世の中」を知らないというよりは、自分の専門外のことを知らないというニュアンスがあります。違いを把握したうえで、使い分けましょう。
■ひとりよがり
「ひとりよがり」とは、何事においても自分の考えが最善だと信じ込んでいる状態を指します。「独善的(どくぜんてき)」とも言い換えられます。
「ひとりよがり」は、他人の話に耳を傾けない人や賛同しない人を指す言葉のため、決して褒めているわけではありません。「あの人はひとりよがりだね」といえば、悪口になってしまうため、使うときには注意をしましょう。
・彼女はいつでもひとりよがりだ。正しいことも話してはいるが、あまりにも身勝手で人が離れてしまう。
・ひとりよがりな態度はよくないよ。正しいと思っても、まずはみんなで話し合わなくちゃ。
■針の穴から天を覗く
「針の穴から天を覗く」とは、せまい領域にとらわれて、広い世界を知らない状態を指す言葉です。実際に針の穴から空を見ることはできますが、穴が小さいため、空全体を見渡すことはできません。そのため、「空は狭いものだ」と勘違いしてしまうことにもなってしまいます。
「広い視野を持つべきだ」というニュアンスで使用できるため、「井の中の蛙」とはほぼ同じ意味合いで使えます。たとえば、次のように日常会話に入れてみましょう。
・実地調査をせずに論文にまとめるなんて、針の穴から天を覗くようなものだ。
・針の穴から天を覗いても、本当のことはわからないよ。もっと広い視野を持たなくちゃ。
状況に応じて適切に使おう
「井の中の蛙」や「井の中の蛙大海を知らず」は、いずれも視野の狭さを示す表現です。ポジティブな意味では使えないため、自分のことについて「井の中の蛙」というのは問題ありませんが、他人を指して使用するのは避けましょう。
相手が相手自身を指して「井の中の蛙」と表現したときは、続きの言葉である「されど空の青さ(深さ)を知る」を使って、ポジティブに言い換えて返答できます。お互いが気持ちよく過ごせるように、相手を傷つけない表現を選びましょう。
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